キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。(エペソ2:14~16)
世の中に平和運動というのは過去にたくさん起こりました。平和を願う気持ちはみな一緒です。しかし、平和を作り出そうと運動を始めると、方向性の違いや意見対立で内部分裂が起こります。昔は平和の党という政党やスポーツ平和党という政党もありましたが、いつの間にか消えてしまいました。どうして人は平和を願いながらも平和を作り出すことができないのでしょうか。聖書はその答えをはっきりと私達に示しています。それは私たちが罪人だからです。
罪とは何でしょうか。聖書が言う原罪、根本的な罪とは神様に逆らっているという罪です。神様によって創造された私たちが、神様に背を向けて自分中心に生きていることが聖書の言う罪です。その結果私たちは、心に平安がありません。ですから一旦、怒りや憎しみという敵意に火が点いてしまうと、相手を非難と攻撃し、止めようと思っても止まらない。誰もがそのような経験をした記憶があるかと思います。
私の友人で今は結婚してお母さんとなっている女性がいます。彼女が昔、このような証をしてくださいました。「私はクリスチャンホームで育ち、小さい時から毎週日曜日は教会に通っていました。そして神様はこの世の全てを創造された偉大な方だということがなんとなくわかってきました。そのようなあるとき、中学生になった私は一つ上の姉とつまらない事で口論となってしまいました。その時は母親が間に入って止めてくれたのですが、私の心は怒りに任せて姉を責めてしまい、姉を傷つけてしまった自分にとても後悔しました。このとき自分がいかに自己中心な人間であるかを思い知り、『ひどいことばかり言ってごめんなさい』と神様に泣いてお祈りしました。すると不思議なことに、それ以来姉とは口喧嘩をしなくなったそうです。
ヨブ記22章21節には、「あなたは神と和らいで平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来る」とあります。私たちが本当に平和を願うならば、世の中に平和を訴える前に、私たちの心に起こる戦争を止めて、心に平和を作り出さなければなりません。心に平和を造る唯一の道は神様と和解することです。イエス・キリストは、私達人類が神様と和解できる道を創ってくださいました。神様と和解した心に平安は与えられます。平安は決して善行を積んだ結果、獲得できるものではありません。ただ与えられるものです。あなたも神様と和解して平安を得てください。必ずすばらしい人生が与えられます。