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5つのパンと2匹の魚

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アメニモマケズ

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平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。(マタイ5:9)
 


 平和とは決して何か組織を作り、規則を作ってその上で出来上がってゆくものではありません。平和をつくり出すとは、神様と和解した心をもった者、敵意を十字架にかけて滅ぼした者、そうした一人一人が隣り人に働きかけて作り出してゆくものです。イエス様は2000年前にイスラエルでそれを実行されました。
イエス様は異邦人という隔ての壁を打ち壊し、ローマ帝国の百人隊長の願いを聞き入れて、その部下の病気を癒してあげました。また異邦人であるカナンの女性が懇願したときも病気を癒し、サマリヤの女性の下に行き彼女に声をかけ、人々から嫌われていた罪人ザアカイと食事をしました。イエス様はこうしてユダヤ人が一緒に食事をしてはいけないとされていた異邦人と食事をし、彼らに愛を示されました。このようにイエス様はその行動において人々と平和を作り出されました。

 宮沢賢治の有名な詩に「アメニモマケズ」があります。宮沢賢治はクリスチャンではありませんが、この詩のモデルはクリスチャンの斉藤宗次郎さんだと言われています。
 
 斉藤宗次郎さんは1877年に岩手県花巻市に生まれました。彼は小学校の教師となり、ふとしたきっかけで内村鑑三の本に出会い、聖書を読むようになります。1900年の冬、23歳のときにバプテスマを受け、花巻で初めてのクリスチャンになりました。宗次郎は「耶蘇」(やそ)と呼ばれ迫害されました。彼が日露戦争に反対したことから、岩手県教育会から追放され、小学校教師の職を追われます。それだけでなく、彼の長女の愛子ちゃんは耶蘇の子供と呼ばれ、腹をけられ、腹膜炎を起こしてしまいます。数日後、愛子ちゃんはわずか9歳で天国に召されました。
 小学校教師を辞めた宗次郎は新聞配達を始めます。その新聞配達は通常の新聞配達とはまったく違うやり方でした。自分が新聞を配達する一軒一軒の前で立ち止まり、その家のために祈るのです。祈るだけでなく、地域の人々のために彼は自分を捨てて働きました。朝3時から夜9時まで宗次郎は毎日働きました。やがて、宗次郎を耶蘇と迫害していた地域の人々も徐々に宗次郎さんに心を開いてゆきます。そして、ついに花巻では「名物買うなら花巻おこし、新聞を取るなら斉藤先生」と言われるようにまでなるのです。   
 新聞配達をする宗次郎さんと知り合った賢治は急速に宗次郎さんと親しくなっていきます。宗次郎は賢治より20歳も年上であり、宋次郎はクリスチャン、賢治は日蓮宗と宗教的なバックグラウンドは異なりますが、賢治は宋次郎の人柄にひかれていきます。
 やがて、宗次郎さんは東京に移り住むこととなりました。かつてはクリスチャンとして迫害され、教師の職を追われた宗次郎。東京へ行く日の花巻駅には誰も見送りに来ないと思っていましたが、ホームは町長をはじめとする町の有力者、学校の教師など多くの人々で埋め尽くされました。その見送りの群衆の一人に宮沢賢治がいました。

 イエス様は私たちに平和運動を起こしなさいとは言いませんでした。平和を作りだす人は幸いだと言いました。神様と和解すると心に平和が訪れ、隣人との間に平和を作り上げるのです。平和を作り出す者となりましょう。
by carbondalle1996 | 2013-08-08 07:05 | 日記 | Comments(0)
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