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5つのパンと2匹の魚

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おおっていた神様


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地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。(創世記1:2)

 「形なく」訳されているヘブル語は「トーフー」と言って滅茶苦茶な状態を表します。むなしいとは「ボーフー」と言って空っぽという意味です。天地創造の始めの状態は、混沌としたカオス状態だったようです。ただ闇が淵のおもてにあったと記されています。私たちには想像できない光景ですが、ここは想像を働かせてただ闇があるという状態を想い浮かべてみましょう。そこに神の霊が水のおもてをおおっていたと聖書は記しています。ここで「おおう」と訳されているヘブル語は聖書でここ以外に2箇所しか出てこない言葉です。1つは申命記32章11節です。

“わしがその巣のひなを呼び起し、その子の上に舞いかけり、その羽をひろげて彼らをのせ、そのつばさの上にこれを負うように、”

 ここで訳されている「舞いかけり」というヘブル語と「おおていた」というヘブル語は同じ言葉です。親鳥がひなを翼を覆って愛をもって育んでいるように、神様の霊がこれから生まれようとするこの大地の上をまるで翼のように覆っているというイメージです。チョー・ヨンギ先生はこれを、「親鳥が羽の中で卵をおおい雛に返すように育んでいる状態」お説明しています。そのとおり神様は地球という卵をそのみ手で多い、これから誕生する命を育んでいるかのようです。

 ここで1節と2節をある注解書ではつなげてこう訳しています。

 “神が天と地を創造されたはじめ、地は形なく、むなしく、
  やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。”


  こちらの方がピンとくるかもしれません。「はじめに」と訳されたヘブル語が独立しているのではなく、従属節的な役割があるそうです。しかし、本筋は変わりません。天地万物を創造された神様がおられ、私たちはこのお方を神として崇める人生を一歩一歩しっかりと踏みしめて歩みましょう。
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by carbondalle1996 | 2013-09-05 05:34 | 日記 | Comments(0)
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