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5つのパンと2匹の魚

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神は見て良しとされた

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神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。夕となり、また朝となった。第三日である。(創世記1:11~13)

 海と陸を創造された神様は、陸地に植物を創造されました。そして神様はこれを見て良しとされたと聖書は記しています。神様はこのように一つ一つ言葉によって創造されましたが、すべての被造物は神様の目にとって全て良いという状態からスタートしました。ですからキリスト教信仰では、物質的な世界を肯定的に捉えるところから始まっています。金も銀に象徴される富は決して悪ではありません。悪とは、神様以上にそれら物質を求めようとする人間の心に働く力です。

 トルストイは、『人にはどれほどの土地がいるか?』という作品を書きました。ロシアに相当欲の突っ張ったパホームという農夫がいました。どんどん土地を我が物にしていくのを生きがいにしている男でした。そこへ、一人の旅人がやって来て、言うのです。『バシキールという所には、土地がいっぱいあって、そこへ移住すれば、土地を格安に売ってくれるのです。如何です、行ってみませんか?』パホームは、それならといよいよバシキールに向かって旅に出ます。いくらでも土地が手に入るのだったら、どこへでも行く男ですから・・・・。

 長旅の果てにバシキールに着くと、村長が言うのです。『ここにお住みいただけるのでしたら、一日あなたが歩けるだけの土地をお分けします。』――――つまり、一日歩いた面積の分だけパホームにプレゼントする、というのです。彼は夢中で走ります。休んでなんかいられません。食事もろくろくしないで、朝からずうっと、走った、走った。ふらふらになりながら、走り続けました。パホームは苦しかったのですが、欲と二人連れですから走りに走りました。

 さあ、ついに、ゴールが見えてきました。バシキールの人々が彼の方へ手を振って、急き立てています。しかし、もう日が沈みそうです。日が沈む前にゴールにたどり着かなくっちゃ、と走って、走って、ゴールがいよいよ近づいた所で、パホームはばったりと草原に倒れてしまいました。倒れたパホームは、『おお、土地はたくさん取ったが、神様はその上に住まわせてくださるだろうか?おお、俺は自分を滅ぼした!もうこれ以上走れない!』しかし、彼は最後の力を振り絞って、少し走りましたが、また倒れて、そのまま息を引き取ってしまいました。バシキールの村長がそれを見て、大笑いしていました。その村長こそ、悪魔だったのです。下男がスコップを取り上げて、パホームの体が入るだけの墓穴を掘って、彼のからだをそこに埋めました。

 文豪トルストイは、『人にはどれほどの土地がいるか』という題をつけて、人間には自分の体を葬るだけの土地があれば十分だ、と言っているのです。

 信仰の父・アブラハムは、異郷のヘテ人から、【神のような主君です】という評価を受ける程の『神の人』でした。しかし、この世においては、マクペラのお墓の土地しか手に入れなかったのです。しかし、彼の人生は、やはり十分祝福された人生であったのです。私たちは、神様に従う人生を送り、物質的な祝福もいただかなければなりません。しかし、物だけを貪欲に求める人生は、パホームの人生に終わる。トルストイは、そうした人生の虚しさを描いたのです。イエス様は言われました。

 先ず、神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。(マタイ6:33) 

 私たちは、その優先順位を間違えることなく、すべての事に恵まれる人生を送らせていただきたいと思います。今日も神の国とその義とを第一に求めて歩みましょう。
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by carbondalle1996 | 2013-09-25 01:35 | 日記 | Comments(0)
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