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罪を赦す権威

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「中風の人に、『あなたの罪は赦されました』と言うのと、『起きて、床をたたんで、歩いて行きなさい』と言うのと、どちらがやさしいですか。あなたがたは、口先だけで、『あなたの罪は赦されました』と言う方がやさしいと考えているでしょう。」(マルコ2:9)

 私たちは口先だけで、「あなたの罪は赦された」と言う方が易しいと考えます。それは、罪が赦されたかどうかの結果が見えないからです。ですから、「起きて、歩け」という結果がすぐに求められる方が難しいと考えるのです。しかし、罪を赦すという権威は、神様だけがもっているものです。決して易しいものではないのです。イエス様は、罪を赦すということが、病の癒しよりも重要であることをここで述べているのです。
 
 ここでイエス様は、「病の癒し」と「罪の赦し」という2つを比較しておりますが、これは当時のユダヤ人のラビたちが用いた論法の1つです。2つの比較をもって、自分の主張を正しいとするラビ的論法です。

 例えば、「ある人が、数学の微分積分ができるならば、この人は算数の足算と引き算もできる」というような論法です。この逆はありえませんね。足算と引き算ができたからといって、微分積分ができるとは限らないですね。難しいことができるならば、簡単なことは証明しなくてもできるとします。これが当時のラビたちが好んで用いた論法でした。

 つまり「イエスとはいったい誰なのか」という律法学者たちの疑問に答えるため、イエス様は律法学者たち自身が使うラビ的論法によって、御自身を証しされたのです。それは、律法学者たちがより難しいと考える「病の癒し」を証明することによって、より易しいと考えた「罪の赦し」を証明したのでした。このことによって、イエス様御自身が、地上で罪を赦す権威をもっていることを証明されたのです。地上で罪赦された私たちはなんと幸いな者でしょうか。ハレルヤ!
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by carbondalle1996 | 2013-10-17 04:36 | 日記 | Comments(0)
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