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5つのパンと2匹の魚

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身を隠す存在

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彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。(創世記3章8節)

 罪を犯した結果、人は神様のみ顔を避けて身を隠す者となりました。罪を犯す前の人は、子供が父親の帰りを喜んで迎えるように神様を喜んで迎えたことでしょう。滝元明先生が伝道会を終えて家に帰ると、いつも子供たちが「パパお帰りなさい」と言って迎えてくれたというお話を聞きました。そのように子供たちを教育された滝元先生の奥様のしつけもすばらしいと思いますが、そうした子供たちがみな信仰をもって献身の道を歩んでいることは、子供たちが親を通して神様を見ていた証ではないでしょうか。

 私が家では妻がピアノのレッスンで夜遅い日は、妻が用意した夕食を子供たちに食べさせ、お風呂に入れて、一緒にテレビを見ます。すると子供たちはだんだんそわそわします。窓から外をのぞいては、ママはまだ帰ってこないか。玄関に行って靴を履いては、ママを迎えに行こうとします。「今日は遅いからもう寝ましょう」と言って二階に上がってベッドに入った瞬間に車が止まった音がすると、子供たちはベッドから飛び出して階段を降りて玄関にママを迎えに行きます。

 堕落以前のアダムとエバは神様が帰って来た音を聞いたら、きと自分から飛び出して神様を迎えたのだと思います。しかし罪を犯した結果、人は以前のように神様を迎えに出て行けなくなってしまいました。それは、とても愚かな姿であり悲しい姿でもあります。罪を犯してしまった結果、人は神様の前に出ることができず、身を隠す愚かな者となってしまったのです。それが私たち人の姿です。神様の前で自分自身を隠さなければならない惨めな存在。そのような惨めな者を救うためにイエス・キリストは地上に来られました。イエス様を心に迎えて、今日も主の道を歩みましょう。
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by carbondalle1996 | 2013-11-18 00:12 | 日記 | Comments(0)
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