アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。(創世記4章4節)
カインの記事は淡々と書かれていましたが、アベルが捧げた記事については少し詳しく書かれています。それはアベルが飼っていた羊の群れの中で、ういごでした。ういごとはその羊から最初に生まれた羊です。ういごというのはとても貴重なものです。10頭羊がいたら5頭のういご、100頭いたら50頭のういごがいたのかもしれません。そうしたういごの羊だけを集めてその中から肥えた羊、つまりその年の最高の羊をアベルは神様に捧げました。神様はアベルとその捧げ物を顧みられました。しかし、神様はカインとその捧げ物を顧みられなかったとあります。
神様は野菜や果物という地の産物よりも羊などの動物を好まれなかったのでしょうか。いいえ、そうではありません。大切なことは、神様はまずアベルを顧み、しかるのちにその供え物を顧みられたということです。逆に神様は、カインを顧みず、したがってその供え物を顧みなかったという事実です。供え物について言えば、二人の供え物は供え物として問題はありませんでした。しかし神様が捧げ物を捧げた二人の心を見られたときに、問題がありました。一人の心は神様が喜ぶものであり、一人の心はそうではありませんでした。神様はその結果、一人を顧み、一人を顧みなかったのです。
例えば、私があなたにたくさんある収穫物の中から余り物を持ってきたらどうでしょうか。私が、「今年はゴーヤがたくさん採れて食べきれないからこのゴーヤをもってきた」と言うのと、「今年のゴーヤの初物の中から一番美味しそうなゴーヤをもってきたよ」と言うのと、あなただったらどちらが嬉しいでしょうか。当然、後者だと思います。見掛けは同じゴーヤでも、その人の心が違います。神様も同じです。それが野菜であっても、お肉であって、それが問題ではありません。それを捧げる人の心を測られるのです。あなたは今日、どのような心で神様の前に立とうとしていますか。神様はあなたの心を見ておられます。あなたの心の全てを神様の御前に差し出しましょう。必ず神様はあなたを顧みてくださいます。