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5つのパンと2匹の魚

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大きなスイカと小さなスイカ

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 例えば、あなたの右隣に住んでいる大きな農場の主人があなたに向かって、「スイカがたくさんできたから1つあげるよ」と言って甘くて大きいスイカをあなたにプレゼントしたとします。そのスイカは大きくて甘くてとても美味しかったとします。こんどはあなたの左隣に住んでいる小さな畑の主人があなたに向かって、「今年の初物のスイカの中からとびっきり良い物を持ってきたよ」とあなたにプレゼントしたとします。そのスイカは小さくてあまり甘くありませんでした。さてあなたはどちらのスイカをより嬉しかったと思うでしょうか。実は、私たちは、美味しいスイカを喜んで、美味しくなかったスイカを喜ばないことがあるのではないでしょうか。聖書はこの質問に対する答えをマルコ12章にこのように書いています。

 「イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。

 神様はまずアベルを顧みて、その後にアベルが捧げた捧げ物を顧みられたのです。神様にとってその捧げ物が甘いか、酸っぱいか、高価か、高価でないかは問題ではありません。神様はそれを捧げる人の心を見られるのです。

 ですから私は神様は公平な方だと思いました。どれだけ神様を愛しているか、神様はそうした私たちの心を見ておられるのです。どれだけ献金したとか、どれだけ奉仕をしたとか、どれだけ善行を積んだという基準ではありません。もし捧げ物に目を留める神様でしたら、裕福なお金持ちを神様は顧みられるでしょう。もしたくさんの奉仕に目を留めるならば、健康な人を顧みられるでしょう。

 しかし、神様はそのような物や行為に目を留めるお方ではなく、捧げるその人の心に目を留めるお方なのです。ですから神様は真実で公平なお方です。お金持ちも貧乏人も、健康な人も病人も、等しく捧げられるものがあります。それが心です。心は全ての人が等しい条件で捧げることができます。ですから捧げ物について他人と比較する必要はありません。神様の前で隠せる心はありません。自分自身の心を見て、自分がどれくらい神様を愛しているかが問われるのです。あなたはどれくらい神様を愛していますか。これくらいですか?それともこーれくらいですか?神様はあなたの心を求めています。
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by carbondalle1996 | 2013-11-27 06:43 | 日記 | Comments(0)
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