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5つのパンと2匹の魚

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自分の可能性ではなく

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するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。(ルカ1章18~20節)

 御使の告げたことは喜びの訪れでした。しかし、ザカリヤは御使のお告げを受け入れられませんでした。ザカリヤはこう言いました。「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。ザカリヤは神の言葉を「わたし」で受け取りました。「わたし」とはギリシア語で「エゴー」と言います。エゴイズムという言葉はここから来ている言葉です。

 子供を産むなんてことは全然可能性をもっていないこの「わたし」で神の言葉を受け取ったから、これは全然受け入れられないのです。私たちも神の言葉に接するとき、このエゴーという「わたし」で受け取ろうとすれば、いつだって受け取れません。これこそ私たちが神様の御前に悔い改めなければならないことだと思います。

 私たちは「聖書にこう書かれている。でも現実は」と言って、ついつい自分の可能性で考えてしまう自分がいます。これは私自身として戒めと受け取りました。もし私が、聖書の言葉を自分の可能性に立って受け止めてたならば、神様の奇跡は自分自身には起こりません。ですから私は、いつも聖書の約束に立つ者でありたいと思っています。そして教会の体質が、いつも神様の御言葉に立つという群れであってほしいと願っています。

 ですから私たちは毎朝聖書を読んで祈、りと瞑想の時間を持ちましょう。聖書を通して語られる神の言葉に、「はい」と答える体質を作りましょう。そしていつも、兄弟姉妹との交わりは、キリストにある愛の交わりであってほしいと思います。そして必ず祈ってその交わりを終えましょう。キリスト者として良い体質を作るように心がけて今日も歩みましょう。
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by carbondalle1996 | 2013-12-05 07:05 | 日記 | Comments(0)
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