ブログトップ

5つのパンと2匹の魚

fivebread.exblog.jp

「はい」と告白する従順さ

f0229700_5513197.jpg


 ザカリヤは「わたし」で神の言葉を受け取ったため、神様の約束を受け入れられませんでした。ですから私たちは神様のみ言葉に接するとき、決して「わたし」で受け取ってはいけません。神様にとってザカリヤが老人であろうと、若者であろうとそのようなことは問題ではありません。神様にとってザカリヤがどれほど優秀であろうがなかろうが、そのようなことは関係ありません。天と地を創られた神様は、無から有を創造されるお方なのです。ですから私たちが神様の御言葉に接するとき、大切なことは幼な子のごとく単純に「はい」と従うことなのです。このときに私たちの歩みは、信仰から信仰へと高く引き上げられるのです。
 
 神様がバプテスマのヨハネを地上に遣わした使命、それは全ての人々を悔い改めに導くことでした。悔い改めた心こそ、イエス・キリストを迎え入れる心なのです。このお方を心に迎え入れるとは、魂が救われ永遠の命が与えられるということです。
 
 ザカリヤは自分の可能性に立って、「わたし」で神様の言葉を受け取ったために、神様の言葉を受け入れられませんでした。それでは自分の可能性に立って、自分は救われる可能性がある人はいるのでしょうか。聖書はこう書かれています。「義人はいない。一人もいない」と。律法によっては救われる人は誰もいませんでした。ですからイエス・キリストが私たちには必要なのです。神様はこのお方を私たちの罪の身代わりに十字架に付けて、私たちの罪の一切をこの十字架の上に置きました。私たちはこのお方を信じるだけで、救われるのです。

 決して私たちが優秀だから救われるのではありません。全ては神様の一方的な憐れみであり、恵みの世界なのです。あなたは救いの確信を持っておられますか?まだもっておられないならば、どうぞこのお方を心に迎え入れてください。イエス・キリスト。このお方以外に私たちが救われる名はありません。ハレルヤ。
[PR]
by carbondalle1996 | 2013-12-06 05:56 | 日記 | Comments(0)
<< 神はおぼえておられる 自分の可能性ではなく >>