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5つのパンと2匹の魚

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愛は無条件

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御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。(ルカ2章15)

神様の愛は私たち人の愛とは全く異なります。私たちが普段経験した愛はすべて条件付きの愛です。親は子供を自分の子供だから愛します。ある親は良いことをしたら愛し、悪い事をしたら愛さないという親もいるかもしれません。あれだけ仲の良かった兄弟が、遺産相続によって仲たがいするというケースもあります。友情はどうでしょうか。相手が自分と同じ価値観をもっているから、相手が自分を裏切らないから友情が続く。夫婦や恋人もどうでしょうか。昨日まで愛していると言っていた夫婦が、相手が自分を裏切ったとして離婚してしまいます。すべてこれは条件付きの愛です。

 しかし神様の愛は無条件の愛です。私が何か優秀だから、何か人よりも勝っているから、神様は私を愛しているのではありません。その逆です。私は何も人より勝っていません。それどころか神様を何度も裏切って、神様を悲しませ、神様なんて知らないと何度神様に背を向けて離れたかもしれません。しかし、そのような私を神様はいつも赦し、変わらない愛で私を愛してくださる。それが神様の愛です。

 イエス様は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と言いました。あなたの隣人とは決して親友や恋人ではありません。私たちがどんなことがあっても赦すことができない、憎くて、憎くて仕方が無い、そのような人です。イエス様はそのようなあなたの隣り人を愛しなさいと言いました。

 あなたの中でこの人は赦せないという人はいますか。アガペーの愛とは赦せない人を赦すことです。私たちがどれだけ親から愛され、夫や妻から愛され、兄弟や友人から愛されたとしても、その愛では赦す力は生まれません。赦すという言葉は、本来どんなことがあっても赦すことができない相手を赦すという意味です。しかし、私たちが神様から愛されていることを心に受け止めるとき、私たちの中で神様の愛は他者を赦す愛へと変わり、私たちは人を赦すことができるのです。これが神様の愛です。
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by carbondalle1996 | 2013-12-25 06:42 | 日記 | Comments(0)
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