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5つのパンと2匹の魚

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キリスト者として

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 今年もいろいろな事件がありましたが、安部首相の靖国神社参拝は私たち国民を驚かせました。キリスト者としてこの問題をどう考えたらよいだろうかと正直悩みました。もし彼がクリスチャンであったならば、真の神様を知っていたならば、「英霊に手を合わせなければならない」といった束縛から解放されたのではないでしょうか。 そのように考えていたときに、自分が実は上から目線であることに気づきました。

 安部首相は第1次安部内閣時代に靖国神社に参拝できなかったことを記者に聞かれ、「痛恨の極み」と心の内を吐露しました。私たちキリスト者には、参拝しないことがどうして「痛恨の極み」なのか理解に苦しむところです。しかし、「あなたの隣人を自分自身のように愛せよ」というイエス様のみ言葉に従うならば、その人が「痛恨の極み」であったという心の痛みを、自分の痛みとして理解しなければならないのだと思います。間違っているから批判するのではなく、理解できないから理解しないのではなく、その人の心の痛みを自分自身の痛みとして受け止め、理解し、涙したときに初めて、私たちキリスト者のメッセージが相手に届くのではないでしょうか。日本国のリーダーのために祈らなければなりません。どうぞお祈りください。

 今年も最後となりましたが、今年頂いた神様の恵みを1つ1つ数えて、祝福多き1年であったことを神様に感謝いたしましょう。S兄の恵みの証をご紹介します。
 
「自分が『守られている』、『支えられている』、『助けられている』、『導かれている』、『救われている』とハッと気づかされ、心の中で『主が共におられる』と実感できたとき喜びに変わります。それは自分の望みであった事が起こされたときだけでなく、それが自分の望みでなかった事が起こされたときでさえも、主はわたしの心を喜びに変えてくださいます。主はわたしに教え諭します、『上を見上げなさい、喜びはわたしの御手の中にあるのだ』と。」

 来年も神様の祝福が豊かに注がれますようにお祈り致します。           栄光在主
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by carbondalle1996 | 2013-12-29 10:28 | 日記 | Comments(0)
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