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5つのパンと2匹の魚

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悔い改めの実

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だから、悔改めにふさわしい実を結べ。自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。(マタイ3章8~10節)

 ヨハネは悔い改めにふさわしい実を結ぶことを命じました。パリサイ人やサドカイ人の内心は、自分達に悔い改めが必要だとは考えていませんでした。なぜならば自分達はアブラハムの子孫だからです。アバラハムの子孫はその血統のゆえに裁かれることなく神の王国に入れると考えられていました。しかし、バプテスマのヨハネはここで衝撃的な言葉を彼らに向けました。それは「神はこの石ころからでもアブラハムの子を起すことができる」というものでした。

 このバプテスマのヨハネの言葉がイエス・キリストの十字架によって成就しました。救いから遠い存在であり、救いに関しては石ころに過ぎなかった私たち異邦人がキリストの十字架の贖いによって、イエス・キリストを信じることによってみなアブラハムの子とされたのです

 それではヨハネが言った悔い改めにふさわしい実を結ぶとは、どのような実なのでしょうか。それは決して善行を積み上げるような修行ではありません。イエス様言いました。「わたしはぶどうの木。あなたがたは枝です。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人につながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」とおっしゃいました。私たちができることはキリストのという幹につながり続けることです。 

 キリストに繋がるとはどういうことでしょうか。それは礼拝や祈祷会に出ることです。聖書を毎日読むこと。毎日祈ること。そうして私たちは霊的にイエス様と繋がることができます。よくクリスチャンの方で、「私は礼拝に出れませんが、神様に繋がっています」という方がいますが、それは間違いだと思います。なぜならば、キリストにある豊かな実を結んでいないからです。

 キリストに繋がっていれば、その人の生活が変わります。笑顔でいつも全てのことを感謝します。不平不満は口から出ず、いつも神様を褒め称える言葉が口から出ます。そのような人を神様はもっと祝福したいと考え、人々を送ったり、新しい門が開かれたり祝福で満たし続けます。
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by carbondalle1996 | 2014-01-24 05:24 | 日記 | Comments(0)
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