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5つのパンと2匹の魚

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日々自分に死ぬこと

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 私はアメリカ留学時代にバプテスト教会で洗礼式を致しました。バプテスト教会ですから浸礼式です。聖歌隊の讃美が終わり、牧師先生に名前を呼ばれて洗礼槽に入り頭まで浸かりました。それは古い自分が死んで新しい自分として生きるという意味です。だからと言って、もう完全に古い自分が死んだというほど信仰生活は簡単ではありません。死んだと思った自分が生きて、自分を支配することがあります。自己中心な自分が生き返って、神様が喜ぶことよりも自分が喜ぶことを選んでしまうという場合があります。そのたびに私は反省し、改めて自分自身に死ぬということを学ぶのです。

 大川先生は日々自分自身を十字架につけること。自分は死んだ、今生きているのはイエス・キリストにあって生かされているという経験が大切であり、それが聖化体験だと教えてくださいました。「自分は死んだ」と考えれば、他人からの誹謗・中傷など全然気にならなくなる。他者からの言葉に傷ついて怒ったり、恨んだりするということは、自己がまだ生きている証拠だと諭してくださいました。クリスチャンとしての信仰生活で大切なことは、日々、自分自身に死ぬという経験であると教えられました。

 先日、F姉が祈祷会で「ついつい夫と口論になると止まらなくて、何処までも責め続けてしまい、後になって失敗したと反省する」というお話がありました。それはどこの夫婦でもある出来事だとと思います。しかし、クリスチャンであるからこそ、後になって反省するのだと思います。反省もまた神様の恵みかもしれません。こうした経験を通して私たちは段々と夫婦喧嘩をしなくなり、職場や近所でもトラブルを起こさないようになるのではないでしょうか。

 あなたは自分自身に日々死んでいますか?あなたの自己中心はイエス・キリストの十字架によって滅ぼされました。今のあなたはキリストの復活の命によって生かされているのです。あなたは神様の栄光を現す器です。神様はあなたを愛しています。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2章20節)
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by carbondalle1996 | 2014-01-30 06:32 | 日記 | Comments(0)
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