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5つのパンと2匹の魚

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奇跡を求める誘惑

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それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。(マタイ4章5~6節)

 第一の誘惑においてサタンはイエス様に神の子としての立場を取らせることに失敗しました。それはイエス様が「聖書にはこう書かれている」と言って聖書のみことばをもってサタンを退けたからでした。そこでサタンも今度は聖書のみことばを引用してイエス様を誘惑しました。「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。

 ここでもサタンは執拗にイエス様に神の子としての立場を取らせようと誘惑しました。最初の誘惑が石をパンに変えるという食欲、生活欲への試みだったのに対して、第二の誘惑は奇跡を人々に見せるという名誉欲に対する誘惑です。宗教で最も興奮させるものは奇跡です。奇跡は人を弾きつけます。ですからサタンは新しい王様を神殿の上に立たせてそこから飛び降りるように誘惑し、み使いたちが彼を守ると言いました。私たちはこのような奇跡を行なおうと考えたこともなければ、盲目的に奇跡を追い求めたことなどないと考えてはいけません。私たちクリスチャンにとって特にこうした奇跡の誘惑というのは現実問題です。

 イエス様が病人に手を置いて癒された奇跡を読んで、自分もまた病人に手を置いて癒されたら良いと考えます。それは当たり前のことですところが今度は、何処の教会の牧師先生に祈ってもらうと癒されるとか、何処の聖会に出ると癒されたと言った話を聞いたらどうでしょうか。私たちは行きたいという衝動に襲われます。信徒さんの中で「私は癒しの賜物がある」という人が現れると、もうその人の言葉がまるで神様のことばのように聞こえて、その人の言葉が段々と絶対化してゆく。今度は自分が通っている教会では奇跡が起こらないからと言って、そうした奇跡が起こる教会のテープを借りて、人々が集まり礼拝を捧げる。その人々は言います。「私たちは使徒行伝の教会を建て上げています。キリスト教会の先端を走っている教会です。」これは私たちの身近に起こっている事実です。奇跡は誘惑となります。

 もし私たちが病人に手を置いてその人が癒されたとして、自分の心で自分には人を癒す力があると自慢するならば、私たちはサタンの誘惑に落ちて、神殿の頂上から飛び降りた者となります。ですからもしそのような誘惑に遭ったなら、私たちはできるだけゆっくりと神殿の頂上から降りてこなくてはいけません。そのとき人々は私たちの弱さを笑うかもしれません。しかしキリスト者の強さとは、その弱さの中に働かれることを知らなければなりません。
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by carbondalle1996 | 2014-02-10 06:14 | 日記 | Comments(0)
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