また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。(Ⅰコリント1章28節)
私の神学校の2つ先輩に大阪教会のS牧師がいます。S牧師は大阪市西成区にあります主にホームレスの人々に伝道してる有名な教会です。私は神学生時代にこの教会を見学に行きました。入った途端に悪臭が漂い、とてもそこで礼拝を捧げる気分にはなれませんでした。夕方の礼拝に参加し、礼拝が終わるとホームレスの人々に食事を与える奉仕をしました。私は考えました。自分がこの教会に遣わされたら、3日ともたないのではないだろうか。
そのような教会にS先生は遣えていました。先生の私の感想を伝えると、先生自身もそのように感じて今までに3回教会から逃げ出したそうです。その度に教会に連れ戻されて、「お前はこの人たちを見捨てるのか。教会の人々を見捨てるのか」と言われたそうです。その度に、悔い改めて教会に戻り奉仕を捧げたそうです。
S先生が40歳を過ぎて独身だったのですが、急に結婚の話が届きました。相手は私の神学校の同級生で、神学校の送辞を勤めた若いA姉です。才色兼備で信仰の篤い女性が、S先生の妻となり、今は子供も二人与えられて大阪教会で牧会をしています。神様はへりくだる者を高く引き上げ、高い者を低く致します。S先生の働きを視るとき、主はまさに真実であると思います。ハレルヤ!主の聖名を讃美します。