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5つのパンと2匹の魚

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忠やんと7人の生徒

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しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。(Ⅰコリント1章30節)

 昭和の初期、現在の和歌山県みなべ町に、枡崎外彦という牧師がいました。そして、「労祷学園」という塾を開いて、才能ある青年たちに勉強と聖書を教えていました。

 あるとき、枡崎牧師は山本忠一という少年を引き取ります。この少年は、孤児で親戚に引き取られていたのですが、幼い頃に脳膜炎を患って知的障害者となっていたため、手がかかるということで、捨てられて乞食をしていたのです。幼い頃脳膜炎をわずらった孤児でした。大食いと寝小便のゆえに、親類も愛想をつかし、捨てられて乞食をしていたのを、升崎牧師が世話をすることにしたのでした。連れ帰ったその夜から、升崎牧師は少年を自分の寝床に寝かせたのですが、朝になるとこの少年は大きな地図を布団いっぱいに描いていました。

 この知恵遅れの少年、何の取柄もないと思われている「忠ヤン」にも人に真似のできない、ハエをとるという一つの特技がありました。ハエと見るや、知恵遅れ者特有の落ち着かない目が俄然輝きだして、ハエを見つめながら左手左足で調子をとって右手の指先でパッと打ちました。それは百発百中、神技ともいうべきものでした。

 忠一少年(枡崎牧師は、彼を「忠ヤン」と呼んでいました)が来たことで、町の人たちは労祷学園のことを「アホ学園」と揶揄し、門にそのように落書きする人も現れました。そこで、すでに塾で学んでいた7人の青年たちは、「忠ヤンを追い出して欲しい。さもなくば我々が出て行く」と枡崎牧師に詰め寄ります。枡崎牧師は悩みましたが、結局「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか」(ルカ15:4)とおっしゃったイエスさまに倣うことを選びました。その結果、7人は学園を去り、忠ヤンだけが残りました。

 ところが、しばらくして忠ヤンも学園から姿を消してしまいます。外出したままいつになっても帰ってこないのです。障がい故の放浪癖のためにどんどん歩いて行くうちに、帰り道が分からなくなってしまったのだと考えられました。枡崎牧師はあちこち捜し回りましたが、とうとう忠ヤンは戻ってきませんでした。

 忠ヤンがいなくなってしまってから数年後のこと、彼が機帆船に拾われて働いていることを升崎牧師は風の便りで知りました。ところが、昭和14年のある日のこと、一人の紳士が突然升崎牧師を訪ねて来て、言いました。「あなたは何年か前に山本忠一という子供をお世話くださった升崎先生ではありませんか?」「おお、あなたは忠ヤンの消息をご存知ですか?」「実はその忠ヤンが立派な働きをして死にました。これが忠ヤンの形見です。」

 その紳士はそう言って船の舵輪(だりん)を差し出しました。彼は忠ヤンの乗っていた機帆船の船長でした。彼は次のように語りました。「ある日、機帆船幸十丸は、荷物を満載して紀州尾鷲港を出ました。出帆後間もなく海がしけ出し、新宮沖にさしかかった時はどうしても思う方向に船を進めることができず、ついに暗礁に船底をぶっつけてしまいました。破れた船底から水が激しく浸水して、いくら排水してもどうにもなりませんでした。

 もうこれまで、と一同観念したとき、船底から『親方!親方!船を!船を!』と手を振りながら大声で叫んでいる者がいました。見ると、アホ忠でした。不思議にも水はあれから少しも増していませんでした。船員たちが再び必死になって水をかき出したところ、忠ヤンは船底の穴に自分の太ももをグッと突っ込み、必死にもがきつつ『船を、船を、早く早く陸に上げよ!』と狂おしく叫んでいました。それで船員たちはしゃにむに、船を進めて陸に近づけ、九死に一生を得ましたが、忠一はかわいそうに右大腿部をもぎ取られ、出血多量で上陸するまでに息を引き取ってしまいました。」

 船の乗組員たちは皆、非常に感動して、全員イエス・キリストを信じたということです。この少年は、いつも一つ覚えのように、「人がその友のために自分の命を捨てるという、これよりもおおきな愛は誰も持っていません」という先の御言葉を言っていたそうです。文字通り彼は、それを実行したわけです。

 知的な障がいのために、勉強を教えるのには苦労しましたが、それでも枡崎牧師は忠ヤンに勉強と聖書を教え続けました。自分のために命を捨ててくださったイエスさまの愛、そして犠牲を払って自分を引き取り、世話してくれた枡崎牧師の愛。それが忠ヤンの心にもしっかりと引き継がれていたのでしょう。
 
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。(Ⅰコリント1章27節)
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by carbondalle1996 | 2014-02-28 06:31 | 日記 | Comments(0)
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