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5つのパンと2匹の魚

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誇る者は主にあって誇れ!

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 一人の方のお証しをご紹介します。福井達雨さんという方です。この人は、1962年(昭和37)に、重度の知恵遅れの子どもたちのための福祉施設止揚学園を滋賀県能登川に創設した方です。初めはあまり援助が得られず、随分経営に苦労したそうです。しかし、今では日本だけでなく、アジアの各国に知られたキリスト教福祉事業家となって活躍しておられます。福井さんが、こうした活動に携わられたのは、お母さんの影響感化に負うところが大きかったそうです。

 彼のお母さんは、小学校もろくに出ていない女性であったそうですが、熱心なキリスト者であり、また信仰に基づく強い平和愛好者でありました。太平洋戦争が起こると、反戦平和を唱えたものですから、何度も警察に拘束されました。当時、社会的地位のない一人の若い主婦が、戦争に反対するのは大変なことでした。一億一心、一億人の日本人が一つ心を持って、戦争に協力する、という時代ですから、それに異論を唱えるということは、大変なことです。孤立無援の戦いです。ところが、彼女は随分警察に引っ張られ、散々痛めつけられたのですが、頑として節を曲げなかったそうです。それは、想像を絶する困難な戦いであったと思います。全国民を向こうに回すことですから・・・・・。

 息子の達雨少年にとって、いちばん嫌なことは、拘置されている母に着替えを、「こわい」警察に持って行くことだったそうです。足がガタガタと震えました。それよりも、もっと辛かったことは 『お前の母親は非国民で悪い女だ。その子のお前も悪い奴だ』と誰からも相手にされず、いじめられることでした。友たちと遊ぼうと近寄って行くと、『お前とは遊んでやらん。あつちへ行け』と仲間はずれにされました。

 また、何か事件が起きて犯人が出てこないと、先生や周囲の子どもたちから悪者扱いにされ、『絶対にやっていない』と言い張ると、『強情な奴だ』と叱られ、水を一杯に入れたバケツをもって立たされたり、炎天下の運動場を何回も走らせられたり、叩かれたりしました。隣の家へ遊びに行くと、係わり合いになるのを恐れて追い出されました。

 こんな状態から抜け出したくて、陸軍幼年学校や予科練に入って軍人になろうと思って、お母さんに言ったことがありました。すると、お母さんは、『人を殺すことを教える学校は悪い学校だから行ってはいけない』と大反対され怒られました。誰も相手にしてくれなかったので、一人で遊んでいましたが、寂しくて堪りませんでした。――――≪こんな非国民な母親を持った子どもは本当に不幸だ。こんな母から生まれなければよかった≫と思って、母が憎くて仕方がありませんでした。

 彼が高校2年の時、母は38歳の若さで子宮ガンにかかりました。召される4日前に子どもたちを枕元に呼んで、言いました。―『目に見えるものより目に見えないものを大切にしなさい。偉い人より立派な人になりなさい』と遺言しました。

 達雨さんは同志社大学に入って、キリスト教に接してから、お母さんの偉大さに気がつきました。大学2年の時、知恵遅れの子に出会って、この子らと共に一生歩いて行こうと決意したのは、お母さんが身をもって示した、そして子どもたちに言い残していった、目に見えない信仰、理想、情熱、生命などを大切にする心豊かな人間になろうと思ったからであった、というのです。

しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。(Ⅰコリント1章30節)
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by carbondalle1996 | 2014-03-01 19:20 | 日記 | Comments(0)
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