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5つのパンと2匹の魚

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3.11から3年

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 もうすぐ「3・11」から3年です。今日は私たちの教会が献金と祈りのサポートをしている「3・11いわて教会ネットワーク」の永田道生スタッフの証をご紹介します。

 震災支援で「楽しいな」と思うことが25%、「重いな」と思うことが25%、「誰かのためになれたかな」とモヤモヤすることが49%、「あっ、このために岩手に来たのか」と思うことが1%です。「寄り添い続ける」ということを念頭に続けてきた被災地支援。現地の必要に耳を傾け、大きいことはできないけれども、出来る限りで応えていく。それを続けた2年半。けれども寄り添い続けることは目に見えないし、助成金を申請しても、「何をやっているかわからない」と却下されてしまう。世の中に理解される支援の仕方と現地の人が必要としている支援に歪みがあるようにも思えてしまう。

 人に見せるための被災地支援ではない。けれどもアピールしなければ理解は得られない。「こんな建物を造りました」、「こんなものを残しました」と見栄えの良い支援をすれば良いのか。話をただ聞くなんてとんでもない。私たちはこんなことをしていますよと見える形の支援が本当に良いのだろうか。

 そんな個人ではどうすることも出来ない事をモヤモヤと考えていた矢先、仮設住宅でのイベントが終わり、みんなが談話室から家へ戻っていく時に、一人の女性と目が合いました。80歳代だろうか。その人は立ち止まり、私の方に歩いてこられ、片方の手袋を外し、冷たい手で「ありがとう」と言いながら手を握ってきた。

 「最近どうですか?」とお尋ねすると震えた声で、「震災後から声が出なくなってしまった。けれどもおかげさまで、あなた方が来続けてくれたから、今はこの通り声がでるようになったのよ」。その方はずっと私の手を握られていた。
 今日、このタイミングでその女性がかけてくれた言葉、それはまさに「このために私は岩手に来たのかな」と思える1%の出来事でした。同時にいろんな迷いが消え去りました。悶々としていた今の自分に必要な彼女のことばでした。

 被災地にはいろいろな団体が支援活動をしています。活動の中には教会にしかできないことがあります。被災者に寄り添って話を聴くことは見栄えの良い活動ではないかもしれません。しかし、それこそ教会にしかできない働きであり、神様が求めておられること。クリスチャンにしかできない活動を被災地でひたむきに続けている兄弟姉妹の姿を私は誇りに思います。
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by carbondalle1996 | 2014-03-09 22:45 | 日記 | Comments(0)
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