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柔和な者の幸い

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柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。(マタイ5章5節)

 柔和とはどんな人でしょうか。私がイメージする柔和とは、決して怒らない人。いつもニコニコしている人。嫌なことがあっても笑顔を絶やさない人。優しい人。温厚な人。このような人が柔和な人と想像します。「柔和」を辞書で調べてみると、「態度や人柄が、優しくて穏やかなこと」、「性質や態度が、ものやわらかであること」とありました。このような人はみなさんのまわりにもおられるのではないでしょうか。

 私が小学生のときに読んだ伝記で思い出されるのが、江戸時代に有名な僧侶であった良寛和尚です。良寛さんは、あるとき地蔵堂とい場所で川を舟で渡ろうとして舟に乗りました。悪い船頭は川の真ん中でわざと舟を揺らして良寛さんを川へ落としました。川でおぼれかけた良寛さんを可愛そうに思い、引き上げて向こう岸に渡しました。そのときに良寛さんは一言も怒らず、助けてくれた船頭にお礼を言いました。その姿を見た船頭は自らの悪行を謝ったそうです。このように良寛さんは決して怒らず、柔和な僧侶であったと言われています。この世で人格者と呼ばれる人は、必ず柔和な人とも呼ばれます。私もそのような柔和な人になりたいと毎日願っておりますが、なかなかそうならないのが現実です。
 
 さて、イエス様は「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう」と言いました。このときイエス様が群集に向かって言われた柔和とは、良寛さんのように「優しくて、穏やかな人、決して怒らない人」と言う意味だったのでしょうか。そのような道徳的徳性が天国を引き継ぐとイエス様はおっしゃったのでしょうか。いいえ、そうではありません。実は柔和と訳されているアナヴというヘブル語は、道徳的、倫理的な性質の「優しさ」や「穏やかさ」とは全く違う意味をもちます。アナヴというヘブル語本来の意味は、「へりくだる」とか「貧しくなる」という意味なのです。つまり神様の前で自らへりくだり、貧しくなる者をイエス様は幸いだとおっしゃったのでした。

 あなたは神様の前でどのような心の姿勢を持っていますか?自分の欠点を指摘されるとすぐに怒ってしまうことはありませんか。それは神様の前でへりくだる姿ではなく、高ぶる姿です。イエス様は十字架に従うほどに神様のみ前でへりくだり、貧しくなりました。私たちも主のみ足に従う者として、神様のみ前にへりくだり、貧しい者となりましょう。ハレルヤ!
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by carbondalle1996 | 2014-03-17 06:29 | 日記 | Comments(0)
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