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5つのパンと2匹の魚

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柔和とは

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悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。
不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。
彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。
主に信頼して善を行え。
そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。
主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。
おのが道を歩んで栄える者のゆえに、
悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。
怒りをやめ、憤りを捨てよ。
心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。
悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。
悪しき者はただしばらくで、うせ去る。
あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。
しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。
(詩篇37篇1~11節)


 詩篇の37篇を見ますと、「じっと耐える」という意味での「柔和」が語られています。ここには「悪を行う者に対して腹を立てるな」という1節の言葉から始まって、「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て」と語られます。耐えるということは神を待ち望むことだ、とこの詩篇の詩人は語ります。そして、11節には「しかし柔和な者は国を継ぎ」とありますが、これは9節の「主を待ち望む者は国を継ぐからである」の繰り返しです。

 つまりへブル語が示す「柔和な者」とは、「神様を待ち望みつつ耐える人」という意味です。悪を行う人の前にあっても、ひたすらに耐え続ける。ただ神様だけに期待し、ただ神様を待ち望み続ける者は、国を受け継ぐのだという信仰。これはイエス様がこの山上の説教で初めてお語りになったことではなくて、旧約聖書の詩篇でも同じことが語られているのです。

 「柔和」というのは、このように、自分の持っている力を用いないで、むしろ神様だけにより頼んで耐え続けることを意味します。ですから私たちが普段考える「柔和」とは全く違います。なぜならば私たちが考える柔和とは、道徳として、倫理としての柔和です。それならば神様を信じていない人格者でも、お寺のお坊さんでももてる性質なのです。しかし、イエス様がここで言われた柔和とは、神様と切り離すことは決してできない性質です。人生の苦難や絶望の中にあって、神様を待ち望み、患難を耐え続ける。これこそイエス様が言われた柔和なのです。

 あなたは今、人生の患難の中にありますか。問題という大きな壁の前に立って希望を失っていませんか。ならば天を見上げてください。神様はあなたの悲しみ、苦しみをご覧になっておられます。ですからあなたの問題を神様からの試練と受け止め、患難に耐えてください。そして神様を待ち望んでください。神様は必ずあなたを救い出してくださいます。そして神様を待ち望み、患難に耐えるあなたは天国を受け継ぐ者なのです。
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by carbondalle1996 | 2014-03-18 06:10 | 日記 | Comments(0)
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