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5つのパンと2匹の魚

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人間としての大事さ

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その同志社女子大学の名物教授だったミス・デントンという人のクリスチャン・ライフをたどってみたいと思います。ミス・デントンは、1887 年、カリフォルニア州パサデナの小学校の校長を務めていた時代に、日本から休暇でアメリカに帰っていた同志社の教師でアメリカ人の宣教師マルキス・ゴードンという人と出会いました。そしてそのゴードンから、ひとりの日本人宣教師の話を聞いたのです。ゴードンが話したのは、アメリカで多くのキリスト教徒を素晴らしいメッセージで感動させた新島襄という人物のことでした。

 マルキス・ゴードン宣教師から、同志社で働くことを勧められた彼女は、キリスト教による教育を通じて女性の 地位を向上させ、日本に一大キリスト教国を建設しようと考えて、1888 年、明治21年に家族や友人の反対 を押し切って来日しました。ミス・デントン、31歳の時でした。それ以来、1947 年(昭和 22 年)に永眠するまでの 59 年間、第 2 次世界大戦中も帰国することなく、同志社の構内に住んで、その全生涯を同志社の女子教育に注いだのです。  

 彼女は当初、聖書のほか、英語、地理、動物学、植物学、天文学、科学、料理法、看護学など多くの科目を教えていました。その間多く の逸話が生徒たちの間に伝えられてきました。 学生が授業の予習をきちんとして来なかった時は本当に怖い教師でしたが、よく勉強して くると、大いなる喜びを一杯に示してくれた先生でした。 無気力で、授業に無関心な生徒にはとても我慢ができず、そのような生徒には『あなたたちのご用は何ですか、勉強、勉強、勉強』というのが口癖でした。彼女の薫陶を受けた多くの生徒たちは、卒業してからも長く彼女を忘れることができませでした。何故、彼女はこんなに生徒の心を捕えたのでしょうか?それは彼女が徹頭徹尾生徒を愛する 先生だったからです。

 こんな感動的なエピソードがあります。ある生徒が急に発熱して腸チブスと診断されて入院する際、彼女は終始担架につき添い、入院後も、毎日アイスクリームを作って運びました。 隔離病棟のため病室に入ることを許されないと、看護婦に、『私、ウツリマセン。生徒のことを考える心で黴菌が逃げていきます』と押し問答をしているのをその生徒の母親が目撃して、『実の親でも及ばない』とその母親が涙を流して感謝したエピソードが残されています。

 ミス・デントンは、自分のためには、これ以上に質素な生活はない、という程に切り詰めた生活を送りながら、同志社に必要な建物を作る資金集めのために国の内外のお客様を自宅に迎え、手料理でもてなしました。 実は、ミス・デントンは、日本に来る時、ファウラーさんという立派な青年と婚約していました。それを断って、日本のために一生を捧げる、というので、日本にやって来たのです。

 アメリカを出てから何十年か経ったとき、アメリカから一人の老紳士が、日本にやって来ました。彼は自分が働いて一生かかって貯めたお金を、『どうぞ神様のために使ってください』と言って、ミス・デントンの前に差し出したのです。その人こそ彼女が若い日に、涙に濡れて別れた婚約者ファウラー氏であったのです。別れてから 50 年後。ファウラー氏も、アメリカで一生独身で過ごし、最後に一番大事なものを彼女のために捧げました。 そのお金を基にして建てられたのが同志社女子大学にある『栄光館』でした。

 クリスチャン作家の三浦綾子さんは、著書の中でこう書いておられます。『別れてから五十年後でした。ファウラーさんも独身で一生を過ごしたわけです。アメリカと日本に別れて、お互いに愛は冷えないままに、しかし、いちばん大事なものを神様に捧げました。それでつくられたのが、同志社の『栄光館』だそうです。その『栄光館』の右と左に、ファウラーさんと、デントン先生の写真が飾られているそうです。人間としての大事さというのは、手がある、足がある、全部揃っているということではなくて、人間の魂としての本当の優しさ、神との対話をするほどの謙遜な魂を持っていなければ、私たちは本当に自己中心の、でたらめな良心で生きているだけの一生に終わると思います。』
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by carbondalle1996 | 2014-03-21 06:34 | 日記 | Comments(0)
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