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5つのパンと2匹の魚

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完成するために来た

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昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねば成らない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。(マタイ5:21)

 神様が下さった十戒の中の第六番目に「あなたは殺してはならない」という戒めがあります。「殺す者は裁判を受けねば成らない」という律法は聖書にはありませんから、これは律法学者が記した口伝律法だと考えられます。イエス様はこの戒めをもって「あなたがたの聞いているところである」と言われました。しかしイエス様はあえてそれに加えてこう言われました。「兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。」これは大変厳しい言葉です。これをどのように理解すれば良いでしょうか。

 イエス様はここで律法について話すに当たって、前もって17節でこう宣言しています。「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。」律法や預言者とは聖書の代名詞です。人々はイエス様の言葉を聞いて、「あれは聖書のみことばを破ることを勧め、廃するように勧めている」と言うでしょうが、そうではありません。私は聖書の御言葉を成就するために来たのですと言いました。新共同訳では「完成するために来た」とあります。律法を完成するとはどういう意味でしょうか。それは1つには律法全てを守った人は一人もいませんから、律法の全てを守り成就するために来たと考えても良いと思います。

 ウイットネス・リーという聖書学者は、「それは天国に入るには不完全であったから」とも言っています。リー先生は山上の垂訓は天国の王国の憲法だと言いました。ですから天国の律法の要求はモーセの律法の要求よりもはるかに高いのです。例えば、誰かが人を殺したならば、律法によって罪と定められます。しかし、もし誰かに対して怒ったとしても、殺していなければ罪に定められることはありません。ここに古い律法の不完全さがあるとウイットネス・リーは言います。この不完全さを克服し、完成するためにイエス様が来られたのだと言っています。

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by carbondalle1996 | 2014-04-07 06:39 | 日記 | Comments(0)
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