イエス様はこう教えました。「わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。」この箇所を現代訳聖書では
、「しかし、よく言っておきますが、あなたがたは律法学者やパリサイ派の人たちと同じように、ただ旧約聖書の戒めを守ることによって天国へ入れるのだと考えてはいけません。」
パリサイ人の義はまさに律法を守るという一点にありました。その結果、その律法に隠された神様の愛が見えなくなり、律法を守るという行為によって天国の扉が開かれると考えました。それは人々を神様の愛から遠ざけるものとなりました。
ルカ6章にこのような記事があります。ある安息日にイエス様が会堂に入って教えておられたとき、そこに右手のなえた人がいました。律法学者やパリサイ人は、イエス様を訴える口実を求め、イエス様が安息日にその人を癒すかどうかを見ていたとあります。イエス様はその人に向かって「手を伸ばしなさい」と命じ、その人の手は癒されました。そしてパリサイ人や律法学者に向かってこう言いました。「安息日に善を行なうのと悪を行なうのとどちらが正しいか。命を救うのと殺すのとどちらが正しいか。」子供でもわかるような問題です。しかし、人々を神様に近づけるべきパリサイ人や律法学者が、このように律法の行いを厳守することによって、神様のはじめの愛から反れてしまったのです。
あなたは聖書の教えを守ることによって天国へ入れると考えていませんか?天国は決して善行の積み上げや難行苦行の結果、得られる世界ではありません。また努力の報酬として受ける世界でもありません。天国は神様からの無償のプレゼントです。ただ、これをあなたが心から願い、手を差し出すときに受けることができる世界なのです。これが神様の愛です。どうぞ神様の愛を受け止めてください。