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5つのパンと2匹の魚

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太陽を昇らせ、雨を降らせる神

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こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。(マタイ5章45節)

 悪い人にも良い人にも雨が降り、太陽が照らすとは当たり前ではないかと考えます。しかし、それはこの地上での生活だからです。私たちが天国へ行くとき、もう太陽の光も雨も無くなるのです。天国では神様の栄光が人々を照らすとあります。そして天国に入れなかった人はどうでしょうか。そこにも、もはや太陽の光も雨の恵みも無いのです。今私たちが何の感謝もなく受けている陽の光も、雨の恵みも神様の愛そのものなのです。

それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。(マタイ5章48節)

 山上の垂訓は天国の憲法だとウイットネス・ニーは言っています。それは律法の完成であり、隣人愛の完成であると言います。天の父なる神様は、私たちの中に隣人愛の完成を見たいと望んでおられるのです。神様は私たちが憎みあったり、妬みあったり、関心を持つことを避けたり、そのような姿を見たいとは思っておられません。父なる神様の愛が完全であるように、私たちの愛も完全であることを望んでいるのです。

 ならばどうすれば私たちはアガペーの愛で隣人を愛せるでしょうか。イエス様は迫害する者のために祈れと言いました。私たちが迫害する者のために祈るとき、聖霊なる神様は、私たちを通して働かれ、私たちはアガペーの愛をただ注ぎ出して行く器となるのです。隣人を愛せない自分を認めましょう。その上で、隣人を愛する愛を神様に求めましょう。神様は聖霊様を送り、私たちを通してアガペーの愛を全うしえくださいます。

“生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。”(ガラテヤ書2:20)
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by carbondalle1996 | 2014-04-18 06:14 | 日記 | Comments(0)
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