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5つのパンと2匹の魚

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神の愛が私たちの心に注がれている

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 私たちはどうすればアガペーの愛をもって隣人を愛せるのでしょうか。コーリー・テン・ブームが聖霊の働きによって自身がアガペーの愛を体験した経験を本にしているのでご紹介します。コーリー・テン・ブームはユダヤ人をかくまったという罪でドイツ軍に家族全員捕まり、強制収用所に送られました。彼女の父親は収容所での労働が原因で亡くなってしまいました。彼女と姉のベッツィー同じ収容所で飛行機の残骸を集めてトラックに積むという重労働を課せられました。姉のベッツィーは非情に虚弱で重い物を持ち上げるのは大変なことでした。それでも力の限りを振り絞って働いていました。そのようなある日、ベッツィーが小さな破片ばかりを拾い集めていることに女性の看守が気づきました。ベッツィーには大きな破片は持ち上げられませんでした。

 ベッツィーは静かに言いました。「私にこれ以上仕事をさせないでください。重い部品を持ち上げるほど強くありませんから。」そのとき看守は、「お前のなすべきことを決めるのはお前ではない。私だ。」と言ってベッツィーに荒々しくムチを打ち叩きました。コーリー・テン・ブームはそのとき今まで経験したことのない怒りを覚えたそうです。しかし、他の人々がコーリー・テン・ブームを捕まえていたため、看守につかみかかることができませんでした。

 看守が去った後、コーリーはベッツィーのところに走りよりました。彼女は顔中が血だらけでしたが、コーリーにこう言いました。「憎んではいけないわ、コーリー。愛して赦すのよ。」そのときコーリーは「できないわ、絶対」と叫んだ。

 心に憎しみがあるときには赦すことはできない。コーリーはそのことを知っていました。しかし同時にイエス様がこう言ったことも知っていました。「しかし、もし赦してやらないなら、あなたがたの天の父もあなたがたの罪を赦してくださいません。」(マルコ11:26)

 コーリーはバラックに戻った後、窓によじ登り、外へ出てしばらく一人で歩きました。そして神様にこうお話した。「主よ、あの残酷な女は赦せません。自分が苦しむより愛する者が苦しむ時のほうが、ずっと赦すのが難しいのです。」すると主は彼女に1つのみことばを思い出させてくれました。コーリーは服の下に隠し持っていた聖書を取り出してそこを読みました。

“私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。”(ローマ5章5節・新改訳)

 このときコーリーは悟りました。自分自身の力では敵を赦すことはできなくても、自分の内におられる聖霊の力によってそれは可能なのだと。このときコーリーは祈りました。「主よ、ローマ人への手紙5章5節を感謝します。イエス様、感謝します。聖霊様によって神の愛を私の心に注いでくださったことを感謝します。お父様、私の内になるあなたの愛は、私の憎しみよりも強いのです。」

 コーリーは赦すことができたその瞬間、彼女の中からあの女性看守への憎しみは消え去りました。この時彼女は知りました。赦しは、憎しみの手錠と憤りの扉を開ける鍵であることを。それは自己中心の足かせと苦々しさの鎖を破壊する力であることを。赦すことによって私たちの心は解き放たれることをコーリーはこのとき経験しました。

 神様は私たちが愛において完全であることを望んでおられます。私たちの内には完全な愛はありません。しかし、私たちがその愛を神様に求めるとき、神様は聖霊様によって私たちの内に敵をも赦す愛を与えてくださるのです。ですから神様の求めましょう。神様はこの愛を求める者に与えてくださるお方です。
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by carbondalle1996 | 2014-04-19 06:23 | 日記 | Comments(0)
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