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5つのパンと2匹の魚

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トマスの悲しみ

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 神様は私たちをどのくらい愛しているでしょうか。それは神様の一人子イエス・キリストを私たちの罪の身代わりに十字架に掛けるほどの愛です。神様は御子イエス・キリストを十字架につけてまでも、私たち一人一人を救いたいと願いました。ですからイエス・キリストの十字架とは、私たちに対する神様の愛の証明でもあります。その結果、信じる者すべてが罪赦され、天国に入れる者となりました。

 イエス様は十字架刑の後、三日後の日曜日の夕方、弟子たちが集まっていた部屋に現れました。弟子たちは自分も捕まるのではないかと恐れて、部屋の戸を閉めていました。そのような不安の只中にある弟子達の前にイエス様は、「シャローム、平安があなたがたにあるように」と声をかけて現れました。弟子たちは当然驚きました。イエス様を人間イエスと理解していましたが、神様だとはわかりませんでした。復活のイエス様に出会った弟子達はもう以前のように部屋に隠れておびえるような弱虫ではなくなりました。部屋から出て行って大胆にイエス様は復活されたと証する者に変えられました。

 どうして弟子たちはこんなに変えられたのでしょうか。それは永遠の命があることを知ったからです。今までは知識では知っていました。しかし、実際に復活のイエス様に出会って、永遠の命とは真理であり、イエス様とつながることだとわかったからでした。

 このとき、実は復活のイエス様に出会えなかった弟子がいたことを聖書は記録しています。それがトマスでした。トマスは他の弟子たちがイエス様に会ったと言っても、決して信じませんでした。トマスは言いました。「私はその手に釘跡を見て、私の指をその釘跡に差し入れ、私の手をそのわきばらに差し入れないと決して信じない」と言いました。そのとおりだと思います。一昨日、十字架の上で死んだ人が生き返るなんて、誰が信じられますか。信じないのが当然だと思います。

 しかし、次の日曜日にイエス様は再び弟子たちが集まっているその部屋に現れました。そしてトマスに言いました。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきに差し入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言いました。トマスはもう「信じます」と言えずに、ただ「わが主よ、わが神よ」という言葉しか出せませんでした。私はこのトマスの告白を読むたびに、そのとおりだなあと思います。もう手なんか入れなくても、指なんて入れなくても、「信じます」なんて言わなくても、目の前に大好きなイエス様がおられる。この事実は疑いようの無い事実なのです。

 あなたの人生に復活の主はおられますか?目に見えなくても、イエス様はおられます。そしてあなたを愛しておられます。
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by carbondalle1996 | 2014-04-22 06:30 | 日記 | Comments(0)
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