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5つのパンと2匹の魚

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ラッパのシーズン

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だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。(マタイ6章2~4節)

 イエス様はここで施しをするのに自分の前でラッパを吹き鳴らすなと戒めています。これを少し説明しますと、昔ユダヤでは毎年ユダヤ暦の7月に畑の収穫が完了しました。すると村々、町々で施しの祭りが行われました。そのため毎年7月になりますと、街の至る所でラッパが吹き鳴らされ、喜ばしい施しのシーズンが到来したことを告げました。

 神様は愛なる方であり、憐れみ深いお方です。神様は貧しい人々働き手を失ったやもめなどの生活を人々が社会全体で施しという善をもって養うことを律法で規定しました。エステル記に出てくる落ち穂拾いという習慣は、貧しい人々が畑で落ち穂を拾えるようにわざと落ち穂を落としておくというものでした。どこか日本人がもっている相互助け合い、和をもって尊しとなすという文化に似ているものがあります。

 また7年ごとに1年間は畑作業を中止して、自然に芽生えて取れる作物が、国中の貧しい人々の食料として開放され、雇われていた労働者は解放されました。このときもラッパが吹き鳴らされました。さらに7年を7倍した49年の次の年、つまり50年目は「ヨベルの年」と呼ばれ、労働者が借金の担保として取られていた畑は、この年のラッパの合図によってみな借りていた労働者に返すという決まりとなっていました。こうしてラッパを吹き鳴らすことによって、ユダヤ人は施しのシーズンの到来を告げ知らせたのです。このように、毎年7月のラッパ、7年目毎のラッパ、そして50年目と施しのラッパは鳴らされました。

 イエス様はこうした施しは生活に困っている人々を助けるためであって、決してあなたがたがそうした行為によって人々から賞賛を受けるためではない。それは自分でラッパを吹き鳴らす行為だと戒められたのです。だから施しという善行を行なうときには、隠れて行ないなさいと言いました。「隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」この4節の言葉は、施し、祈り、断食という3つの文章の最後にそれぞれ出てくる言葉です。施しという善も、祈りという善も、そして断食という善行もすべて人に見せるためのものではない。逆に人々に隠れてしなさい。人々の目には隠されていても、隠れたことを見ておられる父なる神様がちゃんと見ておられるからです。
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by carbondalle1996 | 2014-04-29 06:34 | 日記 | Comments(0)
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