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5つのパンと2匹の魚

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あなたの目が澄んでいれば

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目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。(マタイ6章22~23節)

 イエス様は「目が澄んでいれば、全身も明るい」と言われました。「澄んでいれば」というギリシア語は純粋であるとかまっすぐなという意味です。つまり純粋に神様だけをまっすぐに視る目は、その人の全身も明るいという意味です。カトリックの注解書には、イエスの母マリアはその生涯を通じて神様だけに目を注がれたとあります。

 私たちの霊の目が何を見ているかが問題なのです。実際に目の見えない人でも、その見えない目で神様を見ている方は幸いです。その人の全身は明るいからです。私たちの目が澄んでいれば、私たちは神様に目を注ぐことができます。するとどうでしょう。私たちの心にイエス・キリストを迎え入れ、キリストの光が私たちの心を照らします。目が澄んでいれば全身も明るいとはそういうことです。私たちの心がキリストの光で照らされているならば、1つの光によって部屋全体が明るくされたように、私たちの体は明るくなり、もはや暗き夜道を灯り無く歩むことはありません。

 そしてイエス様は、「あなたの目が悪ければ、あなたの全身も暗い」と言われました。目が悪いとは、純粋でない、まっすぐでないという意味です。本来視るべきものをまっすぐに視ていない。純粋に視ていない。視る対象は何でしょうか。それは神様です。神様は被造物をもって創造者なる神様を見なさいと教えています。空の鳥、野の花、すべてに命があります。そうした神様が創造された万物の命を観て、命を造られた神様を視なさいと聖書は教えています。

 ですからあなたの霊の目が曇っているならば、神様を視ることはできません。その結果、イエス・キリストを救い主と告白することもできず、キリストの光もその心を照らすことはできません。イエス様が、「もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さはどんなであろう」と言われたのはこのためです。

 あなたの目は澄んでいますか?それとも雲っていますか?あなたのまわりの自然界を視て、それらを造られた神様を視てください。イエス・キリストはあなたの心を照らす真の光です。
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by carbondalle1996 | 2014-05-08 08:46 | 日記 | Comments(0)
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