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5つのパンと2匹の魚

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思いわずらってはならない

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それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。(マタイ6章25節)

 明日、何を食べようか、何を飲もうか。明日は何を着ようか。それはこのときイエス様のメッセージを聞いている民衆の最大の関心事でした。それは決して食べ物や着るものがあって、どれにしようかなという思い煩いではありません。家に帰っても明日、子供たちに食べさせるものが何もない。子供たちに着せる服が何も無い。そのような状況です。本当に貧乏のどん底で生きるために思い煩っているのです。その人々に向かって思い煩うなと語っているのです。

 それは決して自分が高い所に立って、自分が高価な服を着て、美味しいものを食べて話しているのではありません。イエス様自身も枕するところなく、聞く人々と同じ貧しい生活をしていました。神様であるイエス・キリストが人となってこの世に来られ、乞食となられました。そしてこう言ったのです。

 命は食べ物よりも大切なものである。もし神様が命のような大切なものを与えてくださったのであれば、その命に必要な食べ物をも与えてくださるはずである。同様に、身体は衣服よりも大切である。神様が大切な身体を与えてくださったのであれば、その身体に必要な衣服をも必ず備えてくださる。

 聖書にはエジプトを脱出したイスラエルの民が、荒野をさ迷っているときに水が飲みたいと叫ぶ箇所があります。すると神様は岩から水を出しました。今度はパンを食べたいと叫びます。すると天からマナが与えられました。そして今度は肉が食べたいと叫びます。すると神様は南風に乗せてうずらをイスラエルの民の前に送りました。またアダムとエバが罪を犯してエデンの園を追い出されたとき、神様は動物の皮で衣を作り、それをアダムとエバに着せてあげました。このような記述は聖書にたくさん記されています。ですから必要の全ては神様が備えてくださることを学びます。与えてくださらないのは、神様の目にそれは必要でないからではないでしょうか。
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by carbondalle1996 | 2014-05-12 05:52 | 日記 | Comments(0)
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