人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。(マタイ7:1)
私たちは他人を裁き易い者です。他人を裁いたことが無いという人はいないと思います。しかしどうぞ覚えてください。イエス様は1節ではっきりと「人を裁くな」と命令形で書かれています。ですから私たちは他人を裁いてはいけないのです。私たちが他者を裁くこと自体が罪なのです。他人を裁くとどうなるのでしょうか。同じように自分も裁かれるからです。イエス様は続く2節で「あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう」と言われました。他人を裁いた私は一体誰に裁かれるのでしょうか。
聖書は誰が裁くとは書かれていません。しかし文脈上からそれは明らかです。それは神様です。他人を裁く同じ秤をもって私たちは神様によって裁かれるのです。秤というのは、私たちは現在使いませんが、ボクシングの重量検査などで必ず使用します。減量したボクサーがその上に乗って、片方ではそれと同じ重りが乗せられて、この選手の体重は何kgと測定されます。同じように神様は私たちが犯してきたたくさんの罪を秤の片方に乗せて、その重さがどれほどであるかを計るというのです。私たちは自分の罪がそれほど重たくないと思っているから他人を裁いてしまうのではないでしょうか。イエス様は私たちが他人を裁くその本質を続く3節でこうおしえています。