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5つのパンと2匹の魚

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ポケットの中の100ドル札

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 ハーランド・デヴィッド・サンダースという人をご存知でしょうか。この名前は知らなくてもカーネル・サンダースと言えばみなさんご存知だと思います。彼は1890年に生まれ、6歳のときにお父さんを亡くしました。お母さんは一所懸命に工場で働きに行き、幼いサンダース少年は留守の家で妹や弟たちの面倒を見て家事をしました。あるときお母さんや弟や妹たちのためにパンを焼きました。そのパンがとても美味しくてお母さんから褒められたことがきっかけで、サンダース少年は料理に興味を持つようになり料理に今まで以上精を出すようになりました。

 お母さんは熱心なクリスチャンで毎週日曜日に教会へ子供たちを連れて行きました。お母さんの口癖は、「仕事はベストを尽くしなさい。そして人に喜ばれる生き方をしなさい」というものでした。子供の頃に聞くお母さんの言葉というのは、子供の心に深く残るものです。サンダース少年にこのときのお母さんの言葉が心に残り、彼の一生を支えたと言われています。

 家が貧しかったサンダース少年は小学校を卒業して働きにでました。いろいろな職業を転々としましたが、37歳のときに小さなガソリンスタンドを始めました。長距離ドライバーにガソリンを売るという仕事でしたが、あるときドライバーから「何か食べるものはないか」と聞かれ、その場でサドイッチを作って売りました。これが好評となり、ガソリンスタンドの隅っこにフードコーナーを設けました。するとドライバーはガソリンを入れている間にここでサンドイッチを食べるようになり、サンダース青年はガレージを改装してガソリンスタンドの隣にサンダースカフェを開きました。これがサンダースカフェの始まりです。

 特にサンダースカフェで一番人気だったのが、チキンです。サンダースカフェのチキンは美味しいという評判がトラックドライバーの間で広まり、大勢のドライバーがサンダースさんのガソリンスタンドに来るようになりました。そしてサンダースさんは40歳のときに思い切ってガソリンスタンドを辞めて、レストラン事業を始めました。このレストランがとても当たり、50歳のときには153席もあるレストランをもつほどになりました。

 ところが60歳のときに転機が訪れました。アメリカ政府は国中に高速道路を広めようと計画し、サンダースさんの町にも高速道路が出来ました。すると長距離ドライバーはそのまま高速に乗って街を通り過ぎてしまい、次第に客足が遠のいてしまったのです。そしてとうとう65歳の時レストランは倒産してしまいました。

 若い頃は非常に傲慢であったと、カーネル・サンダースは自分自身を振り返りました。ところがアメリカを襲った経済不況の波にさらされ、事業は縮小を余儀なくされ、営んでいた食堂も火災で失うと、深く失望しました。ただ一つの希望であった息子まで失い、妻も彼のもとを去ると、彼の心は病んでいきました。還暦を過ぎてみじめん落ちぶれていたある日、礼拝堂にいると、女性の歌声が聞こえてきました。

 「いかにおそるべきことありとも、みつばさのかげはやすらかなり」(聖歌347番)。とめどなく悔い改めの涙が流れました。傲慢に生きていた過ぎた日々を悔いて、へりくだって生きることを決心し、もう一度立ち上がったのです。これが65歳の再出発をした日のできごとでした。彼が自分を低くすると、神は彼を高めてくださったのです。

 ポケットの中の105ドルの小切手と古い自動車が彼の全財産でしたが、彼は人生をこんなかたちで終えたくないと考えました。自分にできることは鶏肉料理をおいしく作ることだと考えた彼は、白い背広を着て、鶏肉料理のレシピとつけだれの入った器を抱えてレストランのオーナーを訪ねました。そうして始まったフランチャイズ事業が、ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)です。

 サンダースさんの信仰は晩年に益々盛んになり、貧しい人々や社会のためにたくさんの基金を作りました。貧しくて大学へ行けない若者のために育英基金を作り、孤児院のために寄付をして、病院を建てたりしました。そうした彼の功績が認められ、ケンタッキー州からカーネル(大佐)という称号が与えられました。こうしてカーネル・サンダースおじさんが生まれました。

 カーネル・サンダースさんはこう言います。「何をするにしても神様と人々に喜んでいただくという動機ですれば、神様は必ず良くしてくださる。」
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by carbondalle1996 | 2014-05-24 06:02 | 日記 | Comments(0)
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