七週の祭りについてレビ記23章にこう記されています。
あなたがたは、安息日の翌日から、すなわち奉献物の束を持って来た日から、満七週間が終わるまでを数える。七回目の安息日の翌日まで五十日を数え、あなたがたは新しい穀物のささげ物を【主】にささげなければならない。あなたがたの住まいから、奉献物としてパン──【主】への初穂として、十分の二エパの小麦粉にパン種を入れて焼かれるもの──二個を持って来なければならない。(レビ記23章15~17節)
過越の祭りにおいては、大麦を初穂として神にささげ、しかも「種の入らないパン」を七日間食べなけれぱならなりませんでしたが、「七週の祭り」では、主への初穂として新しい小麦粉にパン種を入れて焼いたパンを二個ささげなければならないということです。なぜ、パン種が入ったものなのでしょうか。また、なぜ、それで作ったパンを二個なのでしょうか。ここに隠された神の秘密があります。
まず、二個のパンは「ユダヤ人」と「異邦人」を意味しています。この二つのパンが、罪を象徴する「パン種」を入れたものを祭司のところに持ってくるということは、あるがままで祭司を通して神に近づくことを意味しているのです。ユダヤ人たちは長い間、「七週の祭り」を行ないながらも、どうしてパン種を入れたパン2つなのか、その意味することは覆われていました。しかしペンテコステの出来事を通して、その祭りの奥義を悟ることができるようにされたのです。
その奥義とは二つの者がキリストにあって一つの者とされるという世界です。ユダヤ人と異邦人。両社は決して一つにはなれない存在です。しかし聖霊が注がれたならば、神様は両者をキリストにあって1つとしてくださるのです。それは両者が共にキリストの体となるという世界なのです。