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5つのパンと2匹の魚

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頂いた愛を隣人へ

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だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。(マタイ7章12節)

 この黄金律と呼ばれている聖書の教えは、イエス様が初めて言ったことばです。旧約聖書を調べてもこのみ言葉はありません。しかし、これと似た言葉は私たちが育ってきた環境の中でたくさん聞いています。それは「自分が人にされて嫌なことは人にしてはならない」という教えです。これは旧約聖書続編という書物のトビト書の中にありますし、孔子の教えの中にもあります。またそれ以外にも世界中で見つけられる戒めです。これが世界中で子供を育てる過程で教えられる理由は、これが宗教的戒めではなく、常識だからです。

 これは黄金律と似ています。では黄金律と呼ばれるかというと呼ばれません。黄金律とは全く違います。例えばチックフィレイが、「自分が人にされて嫌なことは人にしてはならない」という言葉を基準にして会社を経営したらどうでしょうか。渋滞のときに車を押してあげるという親切も、立ち往生して困っているドライバーにチキンサンドを届けるという発想も生まれません。「店の前で渋滞して営業の迷惑だ。自分が運転して他人に迷惑をかけないように今日の運転はやめよう」となるかもしれません。

「自分が人にされて嫌なことは人にしてはならない」という言葉は、誰もがその経験から言うことができます。そしてこれを守ることは簡単です。みなさんの中でこの教えを守るのは難しいという方はいますか。きっと誰もが簡単だと考えると思います。しかし、聖書の黄金律を守ろうとすると難しさを覚えます。なぜでしょうか。前者は他者と関わらずにすみますが、後者は相手と関わることを薦めるからです。

 ペンテコステはユダヤ人の七週の祭りがオリジナルだと学びました。それは二つのパンが捧げられる祭り。それはユダヤ人と異邦人を表し、敵意という中垣を取り除き和解し、キリストに在って1つとなること。つまり聖霊が注がれることによって新しい人となるという奥義でした。私は聖霊の働きとは、この新しい人に生まれ変わることだと気が付きました。それは愛せなかった人を愛する者となり、赦せなかった人を赦す者になること。

 今日の黄金律で言えば、自分がしてほしいことを人にするという思いも、行為も愛から生まれるものであり、私たちはキリストに留まったときに初めて生まれるもの。なぜならばキリストに留まるならば、私たちはキリストの愛を頂くからです。私たちはキリストから愛を頂いたから、その愛を隣人に与えることができるのです。
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by carbondalle1996 | 2014-06-20 10:32 | 日記 | Comments(0)
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