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5つのパンと2匹の魚

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エルトゥールル号事件

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 1890年、明治23年、オスマントルコの使節団が来日し、明治天皇に拝謁した後、帰国の途に着きました。しかし使節団を乗せた船は帰国途中に和歌山県沖で台風に遭い、船は岩礁にぶつかり沈没してしまいました。その日燈台職員は海岸でドドーンという爆発音が聞こえたそうです。しばらくして燈台職員のところに一人の血だらけの外国人が現れました。すぐにこの外国人は海で遭難したことがわかりました。このとき多くの乗組員が海に投げ出されました。

 この燈台職員は多くの乗組員を救うにはたくさんの人手がいると考え、すぐに村の男たちを呼びに行きました。村の男たちは総出で、岩場の海岸に降りて行きました。だんだんと空が明るくなるにつれて、海岸にはおびただしい船の残骸と遺体が見え始め、目を背けたくなるような光景でした。遠く外国からやってきて、日本で死ぬなんて、なんと悲しいことかと、一人でも多くの命を助けようとしましたが、海岸に打ち上げられて多くの人々は動きませんでした。そうした中で、息がある人を見つけ出すと、男たちは自分の体温で彼らを温め始めたそうです。そうやって村人の必死の救助によって乗組員は次々と意識を取り戻しました。こうして沈没したエルトゥールル号650名の乗組員のうち69名が助かりました。
 
 助け出された69名のトルコ人は近くの村の寺と小学校に収容されました。当時は電気もガスも水道も電話も無い時代です。この時、台風により漁に出れず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民はヨ方などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用の鶏すらトルコの人々に食べさせ、献身的に救護に努めました。やがて彼らは日本の軍艦によってトルコに無事送還されました。

 このエルトゥール号事件から90年近く経った1985年、イラン・イラク戦争の最中にサダム・フセインが今から48時間後にイラン上空の全ての飛行機を撃ち落とすという発言をしました。イランにいた多くの日本人ビジネスマンとその家族はあわててテヘラン空港に向かいました。しかし飛行機は満席で乗れません。他の国々は自国の救援機を出して自国民を救済しました。このとき日本政府は決断ができずに空港にいた日本人はパニック状態に陥りました。

 ところがそこに2機の飛行機が到着し、日本人215名を乗せて成田空港に飛び立ちました。サダム・フセインが言った48時間のまさに1時間前でした。この飛行機はトルコ政府の航空機でした。どうしてトルコ政府が日本人救出のために飛行機を出してくれたのでしょうか。

 駐日トルコ大使はこう言っています。「エルトゥール号の事故に際し、紀伊大島の人々や日本人がしてくださった献身的な救助活動を今もトルコ人は忘れていません。私も歴史の教科書で学びました。トルコでは子供たちでさえエルトゥール号の事件を知っています。それでテヘランで困っている日本人を助けようとトルコの航空機が飛んだのです。」

 イエス様は言われました。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
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by carbondalle1996 | 2014-06-21 06:18 | 日記 | Comments(0)
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