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5つのパンと2匹の魚

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殉教の碑

 いまから390年前の寛永元(1624)年、秋田藩の久保田城下で32人のキリスト教徒が火あぶりの刑に処せられた。旧暦6月3日、新暦にするときょう18日の出来事である。後に家老となる梅津政景の日記には「一、きりしたん衆三十二人火あふり、うち二十一人ハ男、十一人ハ女、一、天気よし」とある。日記だから天気は欠かさず記しているが、「天気よし」が残酷さを際立たせる。

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 宣教師ザビエルが日本にキリスト教をもたらしたのが16世紀半ば。秋田領でも信仰は武士や庶民、鉱山で働く人々に広がっていったが、幕府の禁止政策を受けて藩も弾圧に転じる。この処刑が最初の大弾圧となった。処刑場所がどこだったかを示す史料はないものの、城下の刑場といえばまずは草生津川沿いだったから、32人もそこで火あぶりになったのだろうか。炎天下、刑場まで引っ立てられる男女の列を想像してみる。

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 秋田市の広小路沿いにあるカトリック秋田教会の敷地には、政景日記の一節を刻んだ殉教碑がある。日記の文章に接した信徒たちが発案し、28年前に建てた。以来、毎年7月18日の週の日曜日に碑前で祈りの式が営まれている。ことしも150人ほどが参列した江戸初期の殉教者の中には、ローマ法王庁から「福者」の敬称を贈られた人もいる。秋田の殉教者たちは確かな記録が残っていないこともあって称号とは無縁だが、信仰を貫き通した先人として、いまを生きる人たちの支えとなっている。            ~秋田さきがけ新報・コラム「北斗星7月18日」より~

 遠い昔、秋田の地にもキリスト教が伝わっており、殉教者がいたことに驚きました。明治期に再び入ってきたキリスト教も耶蘇教とあざけられ人々から迫害されました。そして戦時中は敵国宗教とみなされ弾圧。会堂の中に神棚が置かれ、従わない者は投獄され、殉教した伝道者もいました。そうした迫害と弾圧の歴史を乗り越えて今というこの時代があります。こうして日曜日に教会に集い、神様を讃美し、祈り、礼拝できることを、私たちはもっと感謝しなければならないのだと思いました。

 殉教者の血が流れた地には、リバイバルが起こることを歴史は証明しています。ですから秋田にもその日が必ず訪れます。私たちはその日を待ち望みつつ、今日も力いっぱい主を讃美し、礼拝しましょう。主は今日もあなたと共におられます。
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by carbondalle1996 | 2014-07-20 21:14 | 日記 | Comments(0)
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