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5つのパンと2匹の魚

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人生の目的がはっきりしなければ

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                          (秋田市桂浜)

 主イエスの働きの絶頂は十字架で死ぬことでした。主イエスは天国のみことばを教えるときも、奇跡を施すときも、十字架を考えておられました。

 私たちの人生の問題はどこにありますか。一所懸命にお金をもうけ、勉強をし、職場で働きながら、自分が何のために生きているのか、なぜ生きているのか、いつ死ぬべきか、何のために死ぬべきかを悟らずに生きていることにあります。ただ働くことだけに関心をもっているのです。すべての人がみな死んでも自分は死なないという錯覚のために、慾に惑わされて、他人に仕えるよりは人を征服しようと、すべての人の上に立ちたいと願います。

 イエス・キリストを見てください。病気を癒すときも、変貌の山で天国の姿を見せたとき、すべての働きを終えエルサレムへ入るとき、主が引き続き考えておられたのは、ご自分が十字架を背負うためにエルサレムへ行くことですた。主イエスは人生の目的がはっきりしていました。

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16章24節)

                    ~「幸せな朝」ハ・ヨンジョ著より~
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by carbondalle1996 | 2014-07-22 06:42 | 日記 | Comments(0)
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