すると、そのとき、ひとりの重い皮膚病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。(マタイ8章2節)
イエス様が山上の説教を終えて山から下りてこられるとらい病人がイエス様のところに来たとあります。実はマタイ福音書でらい病人がここで初めて記されています。イエス様はマタイ4章でサタンの誘惑に打ち勝ち、宣教を始められました。そしてペテロとアンデレを弟子としました。そして4章の最後には、イエス様はガリラヤ全地を巡り歩いて、福音を宣べ伝え、あらゆる病気、すなわち悪霊につかれた者、てんかん、中風の者をおいやしになったとあります。
こうした癒しのうわさを聴いて大勢の群衆がイエス様のもとに集まり、マタイ5章から始まる山上の説教へと繋がりました。ですからイエス様はまだこの場面ではらい病人を癒したことはありませんでした。しかし、このらい病人はイエス様ならば癒してくださると信じて、イエス様の前に進み出ました。らい病人が前に進み出るということは、実はありえないできごとです。
私たちがもしらい病の人を見るとしたら、それは皮膚の病気だと考えます。しかし当時のユダヤ人はそうは見ませんでした。らい病とは重い皮膚の病気という以上に、神様に対する汚れと考えられていました。律法では出エジプト記にらい病人について細かく規定しています。祭司はこれを見てらい病かそうでないか判断します。もしその人がらい病だと判断されますと、その人は神様に対して汚れた者とされ、ユダヤ人の社会から追い出され隔離されます。
当然、神殿に上って神様を礼拝することはできません。らい病人が外を歩くときは、「汚れている」と叫ばなければなりませんでした。そしてユダヤ人からは差別され、ユダヤ人からは石を投げつけられる対象とされました。ですかららい病人は人目をはばかって、人目を避けて歩きました。人が大勢いたら退いて別の道を通るのが常でした。ですからこのらい病人がイエス様の前に進み出たというのは、普通は考えられない出来事だったのです。
らい病人をそこまで突き動かしたものは何でしょうか。それはきよめられたいという願いです。イエス様なら自分のこのらい病を癒してくださるという信仰。それが彼をイエス様の前に進み出させたのです。あなたはどうですか?イエス様はあなたの病や悩み、問題を解決してくださると信じますか。そうです。イエス様はあなたの病気も問題も解決する力をもっています。このお方の前に進み出ましょう。主は真実なお方です。