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5つのパンと2匹の魚

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弱い時にこそ強い

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”その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。その人は彼に言った、「あなたの名はなんと言いますか」。彼は答えた、「ヤコブです」。その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。” (創世記32章26~28節)

 もものつがいをはずされて弱くされたヤコブは、今度は神様に、「祝福してくださらなければ去らせない」としがみつきます。格闘において自分の最も深い部分に触れさせないようにしたヤコブですが、ひとたび「もものつがいがはずされた」ヤコブはここではなんとか祝福を得ようとしてしがみついているのです。

 神様はヤコブをここで徹底的に取り扱おうとしているのです。神様はヤコブに言います。「あなたの名は何というのか」と。ヤコブが自分を「ヤコブ」と言うことは当たり前のように思いますが、ここで問われている「名」とは存在の本質を意味します。ヤコブの本性、本質、性格、考え方、生き方、これまでしてきたすてべの行為の源泉ともいうべきものを含んだもの、それが「名」です。「おまえの名は何というのか」とい問いは、「あなたという存在、あなたという存在の本当の正体はいった何か」という問いかけなのです。

 その問いにヤコブは、なんと自分を「ヤコブ」と答えたのです。これも一見、当たり前のように思われます。でも違います。ヤコブが自分を「ヤコブ」と名乗ることは彼が最も嫌なことだったと考えます。つまり、それは「自分は人を出し抜き、人を押しのける存在」だということを自ら認めるだけでなく、それが自分の本性であり、「恐れ」をもたらしている問題の本源であることを自ら認めることになるからです。自分がそのような存在でしかないこと、そしてそれが自分のうちに恐れをもたらしていることをヤコブが認めたそのとき、「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ」と宣言されたのです。

 イスラエルとは「神と闘って勝った者」という意味です。それは、ヤコブが自分の真の弱さを認めたことにより、自分のうちにあった恐れに打ち勝ったことを意味します。ここでいう「勝った」とは、自分の弱さを認め、神に支配してもらうことを意味します。それはいわば使徒パウロの言う「弱い時にこそ、強い」という逆説の真理を意味するものです。

 あなたは自分の弱さを神様の前で認めていますか?あなたが自身の弱さを認めるならば、神様はあなたを支配し、神様の器として用いてっくださいます。そのときあなたは弱い時にこそ、強い者となります。
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by carbondalle1996 | 2014-08-30 07:19 | 日記 | Comments(0)
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