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5つのパンと2匹の魚

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ナジル人以上の要求

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また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。(マタイ8章21~22節)

 いつの時代にも葬儀というのは大切です。私が会社に入った新人時代、取引先の部長の親族が亡くなったというニュースが入りました。するとすぐに上司が私に総務へ行って香典を持ってくるように言いました。上司はこのとき私にこう教えて下さいました。取引先の親族の葬儀は、どんな重要な約束があってもキャンセルして駆けつけること。とても勉強になりました。

 当時のユダヤ人社会において、父親の葬儀を執り行う責任は息子にあり、他のいかなる義務よりも優先すべきことでした。創世記を読むと、アブラハムを息子イサクとイシュマエルが葬り、イサクを息子ヤコブとエサウが葬っています。また十戒の第五戒には、「あなたの父と母を敬え」とります。ですからキリスト教でも親の葬儀は最も大切なことです。ですからこのとき弟子はイエス様から、「行きなさい。自分の責任を十分に果たし、それからわたしに従って来なさい」という答えが返ってくるものと期待しました。しかし、イエス様の答えは彼の予想に反したものでした。

 どうしてでしょうか。まずイエス様がこの言葉を言った相手が弟子であったということです。ユダヤ人社会において父親の葬儀を息子が執り行うのは、息子の大切な義務です。しかし、この義務から外されていた人がいました。その一人は大祭司です。そしてもう一人はナジル人としての請願を立てた人。ナジル人とは自分を神様に捧げますと請願した人です。ナジル人は亡くなった親族の葬儀をすることが許されていませんでした。なぜならば、死体に触れるということは汚れるとされていました。ゆえに大祭司とナジル人という神様に仕える特別の人は、たとい父親の葬儀であっても執り行うことは許されていませんでした。ですからイエス様に従う献身とは、このような大祭司やナジル人に求められる要求以上を求められたのだと思います。

 今日も主の祝福があなたを満たしますように。
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by carbondalle1996 | 2014-09-04 08:05 | 日記 | Comments(0)
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