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5つのパンと2匹の魚

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ふうけもんを観て

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 先週は映画「ふうけもん」を観ました。上映5分前に文化会館に到着したところ、土崎教会の信徒の方々が受付等の奉仕をされていたのに驚きました。1つの教会で伝道のためにと奉仕している姿に感動しました。上映前に栗山富夫監督の舞台挨拶。「映画を観た後で、これはなかなかおもしろいなと感じてくださるか、なんだこれはと思うか。判断は観客のみなさんにお任せします」とのこと。栗山監督はもう少し笑いのある映画にしたかったそうですが、(釣りバカ日記のように?)少し真面目な映画になってしまったそうです。

 映画の中でヤクザをしていた主人公がサラ金の取り立てをするシーンがあります。お金を取り立てられた家でおびえながら様子を見守る小さな男の子。主人公の心に罪の認識が入るシーンです。その後、その家族が無理心中をし、男の子が残されたという新聞記事を読んだ主人公に寒気が襲います。それはどんな暖かい毛布や暖炉をもってしても暖めることのできない寒気。路傍伝道をしていた一人の宣教師が主人公に目を留め、彼の背中に息を吹きかけます。すると今まで彼を縛っていた寒気が取り除かれました。そこから彼の求道生活がスタートします。

 映画の前半は涙あり、笑いありですが、後半からは父と息子、母と娘との長年の確執、「赦し」がテーマとなります。自分の殺害を便利屋に依頼した母親を赦せない息子。家庭を顧みずに仕事に没頭し、母親を死なせた父。そんな父親を、決して赦せない息子。母親を憎んで家を飛び出し、親子の関係を絶った娘。人はどうやってその過去に向き合い、赦せない相手を赦すことができるのか。この映画は私たちに人を赦すことの大切さをおしえてくれました。

 聖書は「あなたの隣り人をあなた自身のように愛しなさい」とおしえています。愛するとは赦すこと。あなたが隣人を赦すとき、その赦しはあなた自身に祝福となって帰ります。赦すとは隣人のためではなく、あなた自身の幸せのためなのです。

“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”(ヨハネ3章16節)

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by carbondalle1996 | 2014-09-14 23:25 | 日記 | Comments(0)
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