ブログトップ

5つのパンと2匹の魚

fivebread.exblog.jp

遠く離れて立つ罪人

f0229700_8315416.jpg


 私はマタイの献身の箇所であるマタイ9章を読みながら、ルカ福音書18章の取税人でイエス様が語られた譬え話を思い起こしました。

「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。 わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。

 ここで書かれている取税人がマタイだという記述はありませんが、マタイもきっとこの取税人のように自分の罪に悩んでいたと思います。全てをご存知おられるイエス様はそのようなマタイに向かって「わたしに従ってきなさい」と言われました。イエス様はいつもこのように弟子たちを招きます。ペテロもアンデレもこのイエス様の言葉を聞いて、網を捨ててイエス様に従いました。同じようにマタイも立ち上がって、イエス様に従ったとあります。

 この世の物差しで計るとペテロやアンデレが捨てた網とマタイが捨てた収税人という地位は大きく違います。ペテロたちはいつでも網を持って漁に戻ることができましたが、マタイは高額なお金を投じて収税人という役職を購入しました。やっぱりやめたと言って再び収税人になることはできません。マタイはこのとき全てを捨てたのです。そしてイエス様に従うとは、自分が手放した価値以上のものがあると信じたからです。

 イエス様は今も生きて働かれます。私たちの心をじっと見ています。そして私達一人一人に「わたしに従ってきなさい」と語ってくださいます。そのとき私たちも、手に握っているものを手放してイエス様に従って行きましょう。私たちがイエス様に従うと時、イエス様は私たちが手放したものをはるかに超える大きな祝福を与えてくださいます。祝福ある人生を歩みましょう。
[PR]
by carbondalle1996 | 2014-10-23 08:32 | 日記 | Comments(0)
<< 手放す人生 マタイの証し >>