パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。(マタイ9章11節)
パリサイ人たちは、イエス様が取税人マタイやその友人たちと一緒に食事をしているのを見て憤慨しました。ここで使われている「見た」というギリシア語は、たまたま目に入ったとか、チラッと見たという言葉ではありません。落ち度はないか、責めるべきところはないかと目を皿のようにして観察して見るというギリシア語です。パリサイ人は最初からイエス様の間違いを見つけようと彼らを観察していました。そしてイエス様の間違いを見つけました。それはイエス様が罪人であるマタイと一緒に食事をしていることでした。
ユダヤ社会で共に食事をするという意味は、その人と和解して友達となるという意味です。ですからこのときイエス様は罪人たちと友達になったということです。それはイエス様も罪人となったことを意味します。ですからパリサイ人は鬼の首を取ったように言いました。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか。」
神様はあなたがどれほど罪を犯しても、あなたを捨てたりはなさいません。99匹の羊をそこへ置いてまでも、あなたという迷える1匹の羊を探し求めます。神様はあなたにレッテルを貼って、あなたを遠ざけるのではなく、あなたの隣に座って、共に食事をしてくださるお方です。神様はあなたと和解し、あなたと友達になりたいのです。あなたはこの神様の愛を受け取りますか?