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5つのパンと2匹の魚

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この喜びはわたしに満ち足りている

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するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。 (マタイ9章15節)


 イエス様はパリサイ人たちに対して御自身を医者にたとえられました。パリサイ人たちは自分自身の中にも罪があるという事を認めませんでした。それはまるで病人が病気であることを認めない事と同じです。イエス様の目にはパリサイ人たちは、罪のために死に至る病を患う病人に見えたのでしょう。しかし、この病人たちは「自分は健康だ。病気などひいていない。だから医者など必要ない」と言っていました。

 イエス様はバプテスマのヨハネを取り扱うとき御自身を、花嫁をめとる花婿であると啓示されました。なぜならばかつてバプテスマのヨハネが弟子たちに、キリストは花嫁をめとる花婿であることを話していたからです。

ヨハネは答えて言った、「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない。 『わたしはキリストではなく、そのかたよりも先につかわされた者である』と言ったことをあかししてくれるのは、あなたがた自身である。 花嫁をもつ者は花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、この喜びはわたしに満ち足りている。 (ヨハネ3章27~29節)

 こうしてバプテスマのヨハネは弟子たちにイエス様を花婿としてすでに紹介しておられました。ヨハネ自身も花婿の声を聞いて喜びに満ちていると、その心境を弟子たちに告白していました。ですからイエス様はヨハネの弟子たちに御自身を花婿として話されたのです。この言葉を聞いたとき、ヨハネの弟子たちはかつてヨハネから聞いた教えを思い出したでしょう。

 しかし、花婿が取り去られたとき、つまりイエス様が十字架に架かり天へ戻られたとき、弟子たちは教会に集まり断食をしました。キリストは花婿であり、私たちクリスチャンはみなキリストの花嫁です。私たちの喜びとは、ヨハネのように主の御声を聴くときであり、主が共におられることを知るときです。私たちの人生において、主が共におられるとは、なんと大きな喜びでしょうか。主は今日もあなたと共におられます。
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by carbondalle1996 | 2014-11-05 05:52 | 日記 | Comments(0)
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