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5つのパンと2匹の魚

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あなたの空の手を主に

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これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。(マタイ9章18節)

 イエス様とバプテスマのヨハネの弟子たちが断食について論争しているそのときに、一人の会堂司がイエス様の元に来て娘を助けてくださいと懇願しました。マルコ福音書ではこの会堂司の名前はヤイロと記されています。会堂というのはユダヤ人が礼拝のために集まる場所で、バビロン捕囚によってエルサレム神殿が破壊されてから、つまり紀元前5世紀以降に各地で建てられました。

 この会堂を管理し、会堂全般の事務を担っていたのが会堂司です。会堂司はそのほかにも、聖書を読む人や祈る人を決めたり、説教するラビを招いたりする責任を負っていました。ですから会堂司とはとても重要な役職で、それは長老の中から最も信頼厚く、敬虔な者が選ばれました。当然ユダヤ社会にあって、宗教的指導する立場にある地位でした。

 このような人がイエス様のところに来て、イエス様を拝したということは、本来は考えられない事です。なぜならば会堂司が属しているユダヤ教世界では、イエス様は異端として見られていたからです。こうした立場の人がイエス様の元に来るには、ニコデモの様に身を隠して夜にイエス様と会うというのが普通かもしれません。しかし、この会堂司には、夜まで待つ時間もありませんでした。ルカ福音書には、「彼には12歳になるひとり娘がいて、死にかけていた」とあります。

 会堂司がイエス様に懇願し拝するとは、会堂司という地位を追われる事であり、それだけではなく会堂に入ることさえも禁じられてユダヤ社会から異端と見なされて、追い出されてしまう出来事です。しかし、そうした一切の物を失っても、人々に見つかろうが、そこで非難されようが、一人娘を救うためには何でもする。

 もしこのとき、会堂司に意地があったらどうだったでしょうか。「俺は会堂司だぞ。ナザレのイエスは異端だ。そんな奴のところに行って頼めるか。そんなことをしたらもうこの町で住めないぞ。」そのような会話があったとしたらどうでしょうか。私たちの周りにもこれと似たような会話があります。「今更キリスト教を信じられるか。そんなことしたらお寺との関係や代々守ってきたお墓はどうなる。」

 あなたはいかがですか?永遠の命の前で自分が守ってきた地位や名誉を手放すことができずに、それらにしがみつきますか。永遠の命を受け取るには、あなたがイエス様に手を差し出さなければなりません。しかし、あなたの手が何かを握っていては、イエス様はあなたの手を握ることはできません。イエス様にあなたの空の手を差し出してください。主はあなたを救ってくださいます。
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by carbondalle1996 | 2014-11-17 06:41 | 日記 | Comments(0)
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