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5つのパンと2匹の魚

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憐れんでくださる主

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また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。(マタイ9章36節)

 霊的に飢え渇き倒れ疲れた人々を見て、イエス様は深くあわれまれたとあります。この憐れむという日本語は実は誤解されやすい言葉です。それはなぜかというと、人が誰かを憐れに思うということは、それ自体で相手を自分よりも下に見ているようにとらえられてしまいます。

 ある心理学者が書いた文章にこう書かれていました。「病人をわれわれが、見舞う時に、病人が見舞ってくれる者が上から声をかけることに、どんなに苦痛を感ずるか、見舞う人は気づいていない。」私達が相手に与える憐れみというのは、うっかりすると相手よりも高い所から見下してしまうことになりやすいのです。実は私は自分自身こういった多くの失敗をしている者です。例えをあげたらきりがないほどです。

 それではイエス様が人々を見てあわれまれたというのは、そのような高い所から見くだすような思いだったのでしょうか。ここで「深くあわれまれた」というギリシア語は、人間の「はらわた」や「内臓」を意味する言葉です。ユダヤ人は「はらわた」「内臓」は人間の深い感情が宿るところだと考えられていたようです。その内臓が痛いほどに、ご自分のはらわたが痛むほどに相手の痛みを自分の痛みとしたというのが、イエス様が私たちに対するあわれみです。

 私たちが辛くて悲しくて悲しみのドン底に悶えているときに、人は誰もその気持ちを分かってくれないかもしれません。しかし、イエス様はその苦しみを自分自身の苦しみとして苦しんでくださるお方です。あなたが人生で一番辛く悲しい体験をしたとき、誰もあなたのつらさを理解できないかもしれません。しかし、イエス様はあなたの辛さを自分の痛さとして感じ、あなたの悲しみを自分の悲しみとして受け留めてくださるお方です。このお方があなたの救い主です。
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by carbondalle1996 | 2015-01-08 09:25 | 日記 | Comments(0)
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