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十字架を取るために

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また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。(マタイ10章38節)

 自分の十字架とは何でしょうか。よく「私のこの病気は私にとって十字架です」とか、「この子供は私たち夫婦にとって十字架です」という人がおります。しかし、イエス様はそういう意味で十字架を取りなさいとおっしゃったのではありません。十字架は自分の意思で取るものです。決して強制されるものでも、与えられたものでもありません。

 イエス様は自分が掛けられる十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩きました。イエス様はそれを拒否することもできました。しかしゲツセマネの園での祈りで、「私の願いではなく父の御心がなりますように」と十字架を担ぐことをご自身の意思で選びました。イエス様が担いだ十字架は私たちの罪の十字架です。私達も主の御足に従う者として自分の十字架を背負わなければなりません。

 私がこの聖書箇所を瞑想していたとき、このようなことを考えました。実際に十字架を担ごうとしたら、両手に何かを持っていたら担げません。手に持っている物を手放さなければ、十字架を手で取ることはできません。私は十字架を取るために何を手放しているだろうかと考えました。

 1日は24時間あります。私は睡眠に8時間、仕事に8時間を費やしています。残りは8時間です。しかしその残りの8時間の中で、会社への移動時間や食事の時間、子供とお風呂に入る時間を引くと、私が自由にできる時間は3時間。この3時間をテレビドラマやバラエティー番組を観て過ごすこともできます。しかし、テレビを観ても私の魂は充たされません。

 私は1時間聖書を読む時間を作るために1時間テレビを観る時間を手放しました。1時間祈る時間を作るために、1時間バラエティー番組を観る時間を手放し、1時間メッセージを聴く時間を作るために、1時間アニメを観る時間を手放しました。その結果、私はテレビを観なくなって苦しくなったかというとそうではありません。逆に私の魂は開放され、聖霊に充たされました。

 私達は自分が担ぐべき十字架がわからないかもしれません。しかし、十字架を担ぐために手にあるものを手放すことはできます。私にとってそれは時間でした。時間を神様に捧げました。あなたは自分の十字架を取るために何を手放しましたか?イエス様のために手にあるものを捨てる勇気も必要なのです。キリストはあなたを自由にします。
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by carbondalle1996 | 2015-02-05 06:44 | 日記 | Comments(0)
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