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5つのパンと2匹の魚

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自分の命の使い道

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自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。(マタイ10章39節)

 「自分のいのちを自分のものとした者」ってどんな人でしょうか。こんな話があります。 ある寒い冬、雪深い山中、それも吹雪の中をAさんとBさんの二人の友人で、ある村を訪ねて 歩いていました。次の村里はまだ遠かったのです。 途中、彼らは雪の中に行き倒れになって凍死しかかっている人を見ました。 Aさんは助けなければならないと思い、その人を担いでいこうと言ました。しかしBさんは「自分達の命さえ危ないのに、そんなことできるか」と言い、ひとり先に行 ってしまいました。

 Aさんは迷ったのですが、彼を背負い、苦労しながら雪道を進みました。 彼はその先を進み、背中にかついだ人と共に人家にたどり着いたのです。不思議なことに、吹雪で 大変寒かったのですが、背中に人を負っているからか、体中が温かくなり、力も出たのです。そして二人とも助かったのです。 Bさんはというと、あくる朝、村の人が道端で凍死しているのを見つけました。

 「自分のいのちを自分のものとした者」。 自分のもだから、自分のために使いたい。自分のため にだけそれを永らえたい、すなわち自分のことしか、考えないことをあらわしています。ところが、 自分の為にだけ使いたいと思っているいのちは自分ではどうにも成らない。自分で自分の命を長くすることも、いや体すらいたわって気をつけていたところ、病気になってしまう。自分の為にと思っていたお金すら、自分をどうにもできないことに気づくのです。

 あなたが自分の手に握りしめ「これは私の命だ。これは私の人生だ。だから自分の好きなように使う」と考えたとしても、自分ではどうにもならないのが現実です。しかし、それをあなたの手から神様に手放すときに、神様はあなたの人生を豊かに祝福してくださいます。なぜならそれは本来あなたのものではなく、神様のものだからです。あなたは自分の命を誰のために使っていますか?自分のためですか?自分に死んで神様のために生きるとき、あなたの命は輝きます。
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by carbondalle1996 | 2015-02-06 06:42 | 日記 | Comments(0)
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