時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。(創世記12章1~4節)
先週金曜日の準備祈祷会で韓国に留学中の小林詩音伝道師がメッセージを取り次いでくださいました。この聖書箇所を原典のヘブル語で読むと冒頭の言葉はハーラフという言葉で、「出て行きなさい」という意味です。「出て行きなさい、あなたの国から」という言葉でこの12章は始まります。
私達は自分が慣れ親しんだ街から出ることを望みません。しかしその一方で今自分がいる場所が嫌になると自分の思いで動こうとします。小林伝道師は韓国のオンヌリ教会の日本語部で奉仕をしています。クリスチャンの中には自分の思いを優先させて教会を移る人が多いそうです。するとその人は違う教会に移っても、また同じ問題で悩み、まるで壁の前でぐるぐる行ったり来たりの状態で、決してその人の信仰は成長しないそうです。
大切なことは神様が「出て行きなさい」と言われた時に初めて私達は「出て行く」ことができます。主語は私ではなく、神様です。神様が命じられたならば私達は従わなければなりません。しかし、神様のみことばが無いならば、私達は忍耐をもってそこに留まらなければなりません。そこはあなたにとって忍耐と寛容を学ぶ場所となり、従順の訓練の地となるでしょう。どうぞ主の訓練を大切になさってください。
ノートルダム清心女学院の院長である渡辺和子先生は、その著書「置かれた場所で咲きなさい」の中でこう言っています。36歳で院長となり、こんなはずではなかったと苦しんだ日々。そのようなときに一人の神父から詩をプレゼントされたそうです。そこには「Broom where God has planted you.」と書いてありました。その詩を読んで渡辺先生は目が覚めたそうです。
置かれたところで咲きなさい
仕方がないと諦めるのでなく咲くのです
咲くということは、自分が幸せになり
周囲の人を幸せにすることです
咲くと言うことは、私は幸せなんだということを
周囲に示して生きることなのです
あなたが今居る場所はあなたが選んだ場所ではありません。神様があなたを選び、そこにあなたを植えてくださったのです。辛い時には下に下に根を張りましょう。そして春が来たときに、イエス様の花を咲かせましょう。あなたを通してイエス様がすばらしい花を咲かせてくださいます。