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5つのパンと2匹の魚

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今は恵みの時代

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その時、見えない人の目は開かれ、聞えない人の耳は聞えるようになる。その時、足の不自由な人は、しかのように飛び走り、口のきけない人の舌は喜び歌う。それは荒野に水がわきいで、さばくに川が流れるからである。(イザヤ書35章5~6節)

 イザヤはメシヤが到来したときに起きる出来事をすでに紀元前700に預言していました。ですからイザヤ書の預言を十分理解していたバプテスマのヨハネには、「あなたがたが見聞きしたことを告げなさい」という言葉で十分だったのです。ところがここにはイエス様が言われた「貧しい人々は福音を聞かされている」という預言がありません。この預言はイザヤ書61章にあります。

主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、(イザヤ61章1~2節)

 1節に「貧しい者に福音を宣べ伝えること」とあります。旧約聖書で福音という言葉が登場するのはこの箇所だけです。新改訳では「良き知らせ」と訳されております。メシヤが到来したときに貧しい人々に福音が語られることもメシヤ預言の成就なのです。イエス様は言いました。私は律法と預言者を破棄するためにきたのではなく、成就するために来たのであるという御言葉はまさにそのとおりでした。

 ところが2節に「主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ」とあります。イエス様の到来によって主の恵みの年はきました。しかし、神の報復の日は来ておりません。バプテスマのヨハネのメシヤ到来の視点が、「主の恵みの年」ではなく、「神の報復」にあったことがここから理解できます。それではこのイザヤの預言は間違いだったのでしょうか。いいえ、間違いではありません。イエス様が二千年前に来られたことを初臨。2度目に来られることを再臨と言います。「主の恵みの年」は二年年前に成就しましたが、神の裁きはイエス様の再臨によって成就します。これが聖書の約束です。

 あなたを救うためにイエス・キリストはこの地上に来られました。そしてあなたの罪の身代わりとなって十字架に掛かりました。信じる者はみな救われ、神様の子となります。イエス様を信じる人生はなんと幸いでしょうか。今は恵みの時代。今は救いの季節です。
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by carbondalle1996 | 2015-02-20 06:41 | 日記 | Comments(0)
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